ぼくに生涯を捧げてきたまゆさん-15

更新日:

十五

後期試験が終わり,まゆさんとぼくは,どこかへ行こうと相談した。

まゆさんは,一年生の時,高校の友人と四国へ行った印象がよかったらしく,

「四国へ行こう」

と言った。

二日ほどして,まゆさんは,ぼくに旅程を見せた。

それは,高知から道後温泉(松山)を経て,香川から帰るコースだった。

二人の家計はまゆさんに任せていたから,まゆさんの言う金額を渡した。

前年に山陰を回った時のように,周遊券と国民宿舎の手配をした。

四国周遊券

春休みの初日,まゆさんとぼくは,大学の最寄りの駅から電車を乗り継ぎ岡山へ向かった。

岡山から玉野市へ行き,宇高国道フェリーで高松に着いた。

宇高国道フェリー

高松に到着した時は,午後三時前だったので,近くの食堂で遅い昼食を摂った。

そこで食べた讃岐うどんは,こしがあってとてもおいしかった。

四時前の列車で高松を出発し,高知に着いたのは六時半だった。

あまりに遅いと宿舎に迷惑をかけるので,ぼくは,まゆさんに無理を言ってタクシーで宿舎に向かった。

宿舎に着いて,食事を済ませ,海の音を聞きながら散歩していると,やっと落ち着いてきた。

その日は,電車の乗り継ぎばかりで慌ただしく,落ち着く暇がなかったから。

ぼくは,月明かりの下で,まゆさんにキスをしたあと,しばらく抱きしめていた。

ぼくは,いつも傍にいるまゆさんが,急に愛おしくなったのだった。

まゆさんは,しばらくそのままにされていたが,

「苦しい」

「誰か来るかも知れない」

と言う声に,我にかえり,まゆさんの背中にまわしていた手を離した。

その晩は,二人とも直ぐに寝入ってしまった。

翌日は,松山の道後温泉に行く予定をしていたので,滞在時間をあまりとれなかった。

まゆさんとぼくは,はりまや橋を見に行き,坂本龍馬像のある桂浜へ行った。

はりまや橋は,写真とは異なり,小さな橋で,橋と言えるものではなかった。

はりまや橋

土佐市電

桂浜の龍馬像を見た時,この明治維新の立役者がもし今も生きていたら,それは彼が描いた日本だろうか,とふと思った。

坂本龍馬像

まゆさんによると,松山へはかなり時間がかかるとのことだったので,昼食を済ませると,早々に松山に出発した。

それでも,松山に着いた時は,午後六時を過ぎており,休む間もなく宿舎に向かった。

ぼくは,まゆさんを抱きたいと思っていたが,さすがに,二日連続の長距離の移動は辛く,先に眠ってしまった。

松山では,道後温泉を見て回った記憶しか残っていない。

道後温泉

松山から高松までは,前二日に比べてそれ程距離がなかったので,ぼくは一息つくことができた。

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宿の時間には少し早かったので,まゆさんとぼくは栗林公園に行った。

栗林公園の面積は約75haもあり,文化財庭園では国内最大の広さということだった。

栗林公園

その夜,ぼくは,この旅で初めてまゆさんを抱いた。

まゆさんは,出逢った頃に比べると,少女という雰囲気から「女性」に変身しつつあった。

ぼくよりも約二十センチも小さかったから,大柄の女性のそれとは異なり,見違えるほどとは言えなかったが。

ぼくは,女性が濃い化粧をするのを嫌っていたので,まゆさんもそれに従っていた。

そのことが,まゆさんの変化を目立たないものにしていたのかも知れない。

性の部分では,まゆさんは,女の悦びを知り始めていた。

まゆさんの乳房は,ぼくの手にすっぽり収まるお椀型で,なかなか形がよかった。

まゆさんが,思わず出す艶っぽい声は,その容姿からは想像できないものだったから,ぼくは,自分が昴奮していくのが分かった。

翌日,まゆさんが示した行程で最大の難所が待っていた。

それは,金比羅宮で,その階段を前にした時,思わず絶句しそうになった。

金比羅 階段

参道の石段は奥社まで1368段もあり,ぼくには,それを登りきる自信がなかった。

まゆさんは,ぼくよりずっとタフで,どんどん先に登っていき,途中でぼくを待っていた。

「弱虫」

その言葉にかっと来たぼくは,先に立って登ろうとしたが,息が続かず,まゆさんに追い越されそうになった。

休憩していると,かごに乗った人が登ってきたので,

「あれ」

と言うと,

「だめ」

と,簡単にあしらわれてしまった。

仕方なく,まゆさんの後について境内まで何とか登った。

金比羅

金比羅宮は,海上交通の守り神として信仰されており,漁師,船員など海事関係者の崇敬を集めていた。

参拝を済ませて,いよいよ帰途につく。

宇高国道フェリー(駅)

高松港で宇高国道フェリーに乗るため,待合室で待っていたときだった。

警邏中の警官が,高校生とおぼしき少年に職務質問をしていた。

その時,ぼくは,まゆさんが成人していることを忘れていて,もし,職務質問されたらどうしようと思い,冷や汗が出たことを憶えている。

幸い,こちらの方に来なかったので,ぼくは安堵した。

玉野市から逆コースで,最寄りの駅に着いた時は,午後八時を過ぎていた。

馴染みの店で,夕食を食べて,まゆさんとぼくは寮へ戻った。

春休みとあって,寮内は閑散としていた。

こうして,まゆさんとぼくの四国旅行は終わった。

次の日,まゆさんは実家へ帰っていった。

いよいよ,まゆさんも三年生になり,専門の授業が多くなっていった。

ぼくに生涯を捧げてきたまゆさん-16 に続く)

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