九
ぼくは,高校生の時から実家を離れて下宿していたので,同級生の友人がいないわけではなかったが,何となく物寂しい生活が続いていた。
二年生の時,購読していた学習雑誌に文通欄があったので,軽い気持ちで応募した。
すると,それに応えてくれた女子学生がいて,やりとりが始まった。
ぼくは,北海道の人を希望して,小樽に住む女の子が手紙を寄越してくれた。
現在は,「文通」などという古めかしいことをしている人はいないと思うが,当時(70's)の通信手段はそれが主だった。
彼女とは,大学に入学してからも,以前の頻度ではないが,やりとりが続いていた。
ぼくは,彼女に逢いたくてたまらず,寮に遊びに来ていた先輩が,車で北海道に行くことを聞きつけて,お願いすると,同乗させてもらえることになった。
札幌で逢った彼女は,うっすらと化粧をしていて,送ってもらった写真の面影はなく,すっかり大人の姿をしていた。
ぼくは,その姿を見て,自分との余りの違いに,気後れしてしまった。
ぼくは,文通を続けるかどうかの話はしなかったが,食事をして別れた時,これが事実上の終焉だと思っていた。
あれから一度便りが来たが,ぼくは,この先,何の進展のない状態のままの返事は書きようもなく,そのままにしておいた。
また,彼女からの便りも途絶えたので,事実上,ぼくは彼女とのことは終わったものだとばかり思っていた。
ところが,ある日のこと,たまたままゆさんが,ぼくが部屋にいない時に来て,机の上に置かれてあった手紙を見つけた。
ぼくは,手紙が置かれていることなど知るよしもなかったから,いつものように,まゆさんに声をかけようとすると,まゆさんは,少し悲しそうな顔で俯いていた。
「どうしたの」
と,声をかけると。
まゆさんは,黙って机に置かれてある手紙を指さした。
まさか彼女から手紙が来ることなど思いもよらなかったので,それを見た時,不意を突かれた感じがした。
ぼくは,まゆさんに何と言っていいか分からず,暫く,沈黙していた。
まゆさんは,硬い表情をして顔を上げなかった。
まゆさんにしてみれば,身も心も捧げながら,影でこんなことをしているのかという気持ちで,いたたまれなかったのだろう。
ぼくは,ごまかしてしまうよりも,ありのままを話す方がいいと思い,今までのいきさつを全て話した。
しかし,まゆさんにしてみれば,その手紙がある以上,また,ぼくが返事を書くかも知れないという疑念は消えない。
ぼくの中では,彼女とのことは終わっており,まゆさんしか愛していない自分がいたので,その手紙を見ても,もうぼくの心には彼女への思慕が蘇ってくることはなかった。
その手紙を読んでいなかったため,何が書かれているのかは分からなかったが,まゆさんの前でその手紙を破り捨てた。
ぼくには,その手紙を破ることに躊躇はなかった。
まゆさんは,そこに,ぼくの本気を見てとったのか,いつもの表情が戻ってきた。
この時,ぼくは,自分の曖昧さで,いたいけなまゆさんを傷つけてしまったと思う。
まゆさんは,同級生からあれこれ言われながらも,ぼくに尽くしてきたのに,その手紙を見て,すぐに同級生の忠告を思い出したのに違いない。
がらがらと崩れていこうとする気持ちに耐えながら,ぼくが戻ってくるのを待っていたに違いない。
ぼくの部屋を飛び出して,泣き出したかったに違いない。
ぼくに,どうしてこんなことをするのかと,問い詰めたかったに違いない。
それでも,まゆさんは,一縷の望みを抱いてぼくの帰りを待っていてくれた。
ぼくは,整理しておくべきことをおろそかにしたまま,まゆさんとつき合い始めたが為に,まゆさんの気持ちをひどく傷つけてしまった。
また,このことは,まゆさんにとって生涯忘れられないことにしてしまった。
まゆさん,ごめんね。
ぼくは,今でも,自分のいい加減さに呆れると同時に,後悔している。
この事件があったものの,まゆさんとの生活は平常に戻っていった。
(ぼくに生涯を捧げてきたまゆさん-10 に続く)
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