十四
平日は,寮で朝食と夕食が提供されていたので,まゆさんは料理を作る必要がなかった。
まゆさんとぼくの関係は,寮生の知るところとなっていたが,二人して食堂で食べていた記憶はあまり定かでない。
中には,そうしているカップルもいたが,ぼくは気恥ずかしく,まゆさんもそうだったのかも知れない。
また,それぞれがアルバイトをしていたので,夕食の時間が合わなかったこともあるだろう。
二月のある日,ぼくが,少し遅い時間に,一人で夕食を摂っているところへ,親しくさせてもらっている先輩がやってきて,
「ちょっといいか」
と言って,食事を持ってきた。
その先輩は,ぼくを自治会活動の役員に推薦してくれた方で,何かあると,助言をしてくれていた。
ぼくは,浪人して大学に入ったから,現役入学の二年生とは同い年になり,入学した頃,どんな言葉使いをすればいいのか悩んでいたときがあった。
寮は,先輩・後輩の規律に厳しいところがあり,「言葉使い」もその中の一つだった。
先輩は,ぼくの言葉使いがあまりよくないと思ったのか,
「言葉使いと挨拶は社会人の基本だ」
「社会では,年齢に関係なく,先にその世界に入った方が先輩になる」
「だから,今のうちにそれを学んでおくために,寮生みんなでそれを守っている」
と言った。
先輩は,上級生づらして叱りつけるよりも,その意味を教えた方がいいと思ったのだろう。
ぼくは,年齢が同じなら,どこでも同格と思っていたので,その意味を理解して以来,自分のこだわりは消えていった。
「どうぞ」
少し雑談をしていたが,先輩が,
「君たち二人は半同棲状態だね」
と,にこやかな顔で言った。
「俺たちが大学に入った頃,同棲時代※という漫画が流行っていて憧れたもんだ」
「だけど,それは東京のような大都会でのことで,こんな地方ではあり得ないと思っていた」
「それがどうだ,現におまえとあの子でそれを実践しているじゃないか」
「寮にもカップルはいるが,お前たちほどじゃない」
ぼくは,それが寮の規律を乱していると言われているのかと思ったが,先輩の表情はそんな風には見えず,とても穏やかだった。
「実際のところ,男子寮の連中は,毎日といっていいほど,あの子がお前の部屋に通うことを羨ましいと思っているんじゃないか」
「あの子がお前の部屋に通い出したのは,あの子が一年生の秋からだったな」
「そうですね」
「お前は,あの子のけなげさをどう思っているのか知らないが,俺から見れば,あの子はその時からお前しか見ていない」
ぼくは,先輩が,二人の様子をここまで観察しているとは夢にも思わず,正直びっくりした。
「時々,自治会の会合であの子と話したことがあるが,あの子の言うことはお前そっくりだよ」
「正直言って,一人の人間がそこまで影響を与えられるのか,と思って驚いた」
「それほど,あの子は,お前の一挙手一投足を見逃すまいとしてお前を見ている」
「だけど,お前はそのことをあまり分かっていないような気がする」
ぼくは,まゆさんと色んな話をしてきたと思うが,自分がそんなに影響を及ぼしているという自覚はなかった。
「お前にとっては当たり前かも知れないが,あの子はお前をとても大切にしている」
「お前は,そのことをもっと自覚して,あの子の気持ちを大事にしてやる必要がある」
先輩から見れば,ぼくが,まゆさんの純粋な一途さを壊すことは許されないと思って,忠告してくれたのだろう。
「俺は,お前たちが,漫画の同棲時代のような結果にならないように祈っているよ」
そう言うと,先輩は席を離れていった。
ぼくは,先輩の温かい助言に感謝しながら,まゆさんの気持ちが真っ直ぐぼくに向いていることを聞いてとても嬉しかった。
やがて,三月に入り,大学も後期試験に突入した。
※同棲時代:同棲時代は,上村一夫により双葉社『漫画アクション』において,1972年3月2日号から1973年11月8日号まで80回連載された漫画(Wikipedia)
(ぼくに生涯を捧げてきたまゆさん-15 に続く)
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