十一
ぼくは,少しずつまゆさんの同級生と遊ぶようになっていた。
大学は,県内出身者が多く,ぼくのような県外出身者は,謂わば外様で,勢い県外の者同士がかたまっていた。
当時(70's)は,麻雀が流行していて,自宅通学以外の学生は,殆どが染まっていたのではないだろうか。
また,車に乗っている者は少なかったが,バイクに乗っている者はそこそこいた記憶がある。
麻雀をする時は,同級生の下宿に集まり,夜中までやっていた。
割合裕福な同級生がいて,彼の下宿が集合場所になっていた。
何故かというと,夜中まで遊んでいると,どうしてもお腹がすく。
コンビニなんて気の利いた店はなかったから,彼が実家から持ってきていたお米を炊いてよく食べた。
おかずはまともなものがなく,鯖の缶詰か海苔,もしくは,マヨネーズをご飯にかけて食べるのが常だった。
下宿生活をしている男子学生の殆どが,それに近い生活をしていたから,自分たちは貧しいとは思わなかった。
それ故に,下宿生が彼女を欲する理由が,「飯炊き女」だったのだ。
それから比べると,いつもまゆさんの手料理を食べさせてもらっているぼくは,彼らから見れば,かなり恵まれた環境にいたと言える。
現に,時々,彼らは女子寮に押しかけて,まゆさんの手料理の相伴に預かっていた。
人間は,当たり前と思っていることには,さほどの価値を見いださない習性を持っているが,当時のぼくは,まゆさんに食べさせてもらうことが,当たり前になってしまっていたので,その価値を余り考えていなかったと思う。
しかも,今になって気づくことだが,まゆさんが出してくれていた料理の食材は,実家から持ってきたり,バイトの帰りに買ってきたのではないかと思う。
ぼくには,それほど頻繁に買い物に出かけた印象はなく,遊びに行った時も,帰りにスーパーに寄った記憶が余りない。
そう考えると,まゆさんはぼくの見えないところで,かなりのお金を使っていたに違いなく,ぼくにはそれが分かっていなかった。
実質上,ぼくは,まゆさんに養ってもらっているのであり,みんなもそう見ていたのではないだろうか。
どこかへ出かけて,ぼくが出したとしても,その頻度はそれ程多くはないから,まゆさんの負担しているものは,ぼくより遥かに多かったと言えるだろう。
しかも,ぼくには,まゆさんと食費について話し合ったり,要求された記憶はない。
どちらかといえば,要求するのは専らぼくの方で,まゆさんをいつも困らせていたのではないかと思う。
ぼくは,まゆさんの前では,我が儘放題と言ってもよかった。
そんなまゆさんとの距離の近さは,ぼくには心地よかったが,まゆさんはどうだったのだろうか。
まゆさんにしてもらうことは多かったが,ぼくは,どれほどのものをまゆさんに与えることが出来たのだろうか,と考えると恥ずかしくなってしまう。
そんな状態だったにもかかわらず,ぼくは,また,まゆさんに大きな負担をかけてしまうことになった。
(ぼくに生涯を捧げてきたまゆさん-12 に続く)
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