カテゴライズする言葉に惑わされてはいけません

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現在の日本では,人間をカテゴライズ(分類)する言葉で溢れているように思います。

勝ち組・負け組,肉食系・草食系,正規・非正規,などに代表される言葉です。
私は,これらを「区別用語」と呼んでいます。

では,その言葉には厳密な定義が存在するのかといえば,果たしてどうでしょうか。
あなたは,ご存じですか?

マスメディアがいつともなく使い始め,その影響が大きいために,人々は,その定義も明確に分からないまま,自分はどちらに分類されるのかと不安になります。
そんなものは,人間の本質的な要素でも何でもないのに。

言葉というものは怖いものです。
その言葉が発明されるまでは,人々の意識には存在していません。
しかし,一旦それが流布されると,自分の意識化にインプットされ,自分やまわりの人をカテゴライズしていきます。

この「区別用語」には,人間の優・劣という要素が含まれています。
相手より優位性のあるカテゴリーに属すると思えた場合は安心し,逆の場合は不安になります。
このように,言葉を変えていえば,知らず知らずにお互いを比較していることになるのです。

その言葉を使ってセンセーショナルに報道すれば,それは人を操作していることに繋がっていきます。
報道する側は,明確にそれを意図しているかどうか定かではありませんが,人の行動様式が変わっていくことで,その結果が見えてきます。

誠に失礼ながら,今の若い人達はあまり言葉を知らないのではないかと思います。
即ち,豊富な言葉を使って表現しようとしません。
現に,私の子供達が交わしている言葉を聞いていますと,ボキャブラリーが少ない(私の子供だけかも知れませんが)。

言葉を知らないということは,「思考の狭さ」を意味します。
多様な考えをもつためには,多くの言葉を知らねばなりません。
何故なら,人間は言葉を使って思考する存在であるからです。

カテゴライズする言葉は,その思考を単純化していきます。
いわゆる,ものごとは,二者択一しか存在しないわけではないのに,人間の思考をその枠にはめていこうとします。
どこにも当てはまらないという存在を認めません。

そして,片方に定義されたもの(例えば負け組)を「負の存在」というふうに意識させてしまいます。
本来は,負でも何でもなかったものさえ,その枠組みに入ってしまいます。
今,マスコミが流布しているのは,そのような言葉が多いと思いませんか。

この思考様式に捕らわれてしまうと,人間の幅というものをも狭めていく結果をうみます。
換言すれば,その言葉に捕らわれてしまうことによって,自分で自分を狭めていることになっています。

このように,言葉は便利ではあるけれども,危険な存在でもあります。
ましてや,言葉によって物事の幅や深さなどの表現を苦手とする人にとっては,言葉に絡め取られかねません。
私達は,情報のシャワーに曝されることのデメリットを,一度よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

そして,カテゴライズする言葉を一切使用しないことによって,自分の思考様式をリフレッシュし,自分の存在を再確認することが必要であると思います。

「いずれにも所属しない」ということは,ある意味では人間を不安にさせます。
しかし,それに慣れてしまうと,それほど自由なことはありません。

思考様式で言えば,豊富な言葉を持つことによってそれが可能になると思いますが,みなさんはいかがでしょうか。

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