センスのよい人になりたいものです

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「センス」と一口に言いますが,では「センス」とは一体なんでしょうか。
少し調べてみますと,デジタル大辞泉には以下のように解説されています。

1.物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2.判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

先ず思い浮かぶのは服装のセンスですね。
これは何もブランドものを身にまとっていることを表しているわけではありません。
いくら高価な服を着ていても,その人に似合わなければセンスが悪いと言われます。

服装の場合は,多分に感覚の善し悪しを問われていると思いますが,上記2の「判断力」や「良識」となると少しわかりやすくなるかも知れません。
仕事でもセンスのよい仕事をする人とそうでない人がいるように思います。
言い換えれば,「スマート」と言ってもいいでしょう。

しかし,始末が悪いのは,センスの定義が抽象的な故に,どれがセンスの良さかを決めるものは個々人によって異なり,はっきりしていないことです。
ただ,漠然とはしていても,何人かが共通に感じるセンスというのはあると思います。
それがセンスの定義の一つと言えるのではないか

日本人がブランドに弱いのは,それを身につけることがセンスがある,と勘違いしているからだというのをどこかで読んだ記憶があります。
そうではなくて,全体のコーディネイトが問題であって,個々の問題ではないというのです。
スーツの仕立てが20万円のものであっても,それに合わせるタイやワイシャツ・靴をどうするのか。
そこまで考えてスーツを仕立てているのか。

もう一つ痛烈な批判を読んだことがあって,それは何かというと,日本人には教育はあるが教養はない,というものでした。
今テレビでクイズ番組を結構やっていますが,それは単に知識比べであって,教養を有無を問うものではないと思っています。
知識は,それを獲得するための時間をどれだけ使ったのかに比例するに過ぎない。

問題は,それを礎にして自分なりの考えを持っているか否かだと考えています。
まわりとの価値観が異なっていたとしても問題としないような考えを持っているか。
その様なことが,会話にも滲み出てきて,その人のセンスの良さを感じることがあります。

その意味では,センスというのはあらゆる画一的な価値観を超越した自分の考え方と言ってもいい。
服装にしても,ある一定のルールは存在するでしょう。
でもそれは原則(ルール)であってセンスではないと思いますし,それを踏まえた上で自分をどう表現するのかが大切だと思うのです。

話をしていても,色々なことを考えてきたと思える人と,単に知識ばかりを振りかざしてそれをセンスがあると思っている人がいます。
その様な人には話の広がりがなく深みもありません。
だから,始めはすごいなあと思うのですが,段々と飽きてきます。

要するに,話をしていても面白くないのですね。
あれも知っている,これも知っているのではなくて,それをどう考えてきたのか。
そのようなことが人としての深みを与え,センスというものが出来上がっていくのではないかと考えています。

自分を含めてまわりにはそのような人があまりいないのが残念です。
私は洋画をよく観ますが,この人はセンスがいいなあと思う俳優(女優)さんに出会う時があります。
そんな時,この人は何を考えながら生きてきたのかと考えさせられます。

中途半端な論じ方しかできませんでしたが,センスを磨くというのは終生やらねばならないことでしょう。
それでも,センスがいいと言ってもらえるかどうかわかりません。
それだけに追究しがいのあるものではないかと思います。

センスについての本で私のお勧めは,塩野七生さんの「男たちへ」と題するものです。
これは約25年前に出版されたものですが,今読んでも全く古い感じはしません。
彼女はイタリア在住で,イタリア人の男性との比較が多いですが(どちらかといえば欧州),物事の本質をついていると思います。
私も現在再読中です。

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