自然の光と音の世界で暮らしてみて感じること

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現役を引退してから,約2年半が経ちました。

私は今,テレビやオーディオのスイッチを入れない限り人工的な音のない世界に住んでいます。
光も同様で,蛍光灯のスイッチを入れない限り夜は真っ暗です。

家内と娘が仕事に出かけてしまうと,傍にいてくれるのは愛猫1匹(オス)だけです。
近所の方は滅多に尋ねてくることはないので,何日も家族以外の会話がありません。

現役の頃は,散々人と会話し,人工的な音や光に曝されてきたので,引退後はそういうものを一切遮断した世界に住みたいと思っていました。
元々自宅はそんな環境にあるので,帰宅後や休日はその世界にいるのですが,それでもテレビはついているし(家内がすぐにつける),家族もいます。

私は全くといっていいほどテレビを見ません(昼食時に見るくらい)ので,日中は自宅の傍を流れる川の音しか聞こえてきません。
一歩外に出れば,緑が辺り一面を覆い,木々の呼吸する音さえ聞こえそうです。
そんな新鮮な空気を思い切り吸い込んでみると,煙草で汚れた肺が浄化されるような気がします。

このような状況は,孤独な寂しい老人の姿でしょうか。

私は決してそうは思いません。
何故ならば,それは自ら望んだものだからです。

都会の喧噪や人工的な光が恋しいとも思いませんし,前述のように寧ろ煩わしい。
若い時は,あらゆる誘惑に惑わされ,またそれがないと物足りないと思っていました。

しかし,この歳になってみると,自分の必要とするものはその様なものではなく,人間がかつて暮らしていたような自然環境であるように思います。
夜が明けると,眩しい太陽が山間から顔を出し,日が暮れると月が道を照らします。

「限界集落」という言葉の厳密な定義は分かりませんが,私が今住んでいるのはそのような場所でしょう。
しかし,何の「限界」なのでしょうか。
それは,都市部にあるような生活に必要なスーパーや医療機関などの存在を基準としているのではないでしょうか。

生きるための最低水準を考えてみた時,都市部にあるものは殆ど過剰であって,必須であるものは極めて少ないように思います。
それよりも,人間が本来営んできた環境こそが最も贅沢で,何物にも変えがたいものだと思うのは私だけでしょうか。

英国の貴族がカントリー・サイド(片田舎)に小城を持っていて,日頃の喧噪を逃れて身を休めにいくのは何故でしょうか。
そこには,上述のように本来人間が必要とする自然が存在するからではないか。

その意味では,この自然環境の中に身を置いている自分が最も贅沢ではないかと思えてきます。
そこには,動物を始めとして色々な生物が共存しており,人間もその中の一つの存在に過ぎません。

時間があれば,精神的な健康を保つためにも,都会の人工的な遊興ではなく,ありのままの自然に触れ合うことが大切と思います。

時計は,午前5時をさしています。
野鳥が一斉に朝の訪れを告げ始めました。

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