生きていく哀しみ【掌の小説】

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その年の冬は例年になく温暖な日々が続いていた。

私は休暇を利用して,石川県の山代温泉に旅をしたのだった。

特別な理由のない気儘な旅であった。

温泉街に着くと,雪は全くなく,山に白いものがかかっているくらいであった。

シーズン中の旅館は盛況で,館内の温泉はいっぱいである。

有名な歓楽街とあって,それらしき看板が其処此処にあがっている。

私はここに何を求めて来たのか漠然とわかっていたが,看板を見るとはっきりしてくるのであった。

夕食が運ばれて来た時,仲居さんに,

「おねえさん,ここらで遊べる所はありませんか」

「見てのとおり色々あるけれども,私の紹介する人と遊ばないかね」

「ここの旅館の女中さんだけど,一晩三万円でいいよ」

「その人は若いの」

「そうだね,三十六くらいかね」

「若いのもいいけど,それなりに分かっている人の方がいいと思うよ」

「十時くらいに部屋に迎えに来るから待ってて頂戴」

彼女はそう言うと,部屋を出て行った。

定刻を半時間ほど過ぎた頃,おねえさんがやってきて,一階の玄関の所で待っていて,と言い残して出て行った。

私は,言われた金額を持って部屋を出た。

玄関に行くと,仲居さんがすでに待っており手招きしている。三万円を手渡した。

「帰ってからでいいのに」

言いながらそれを受け取ると外に出た。

雪が舞い始めていた。

「久しぶりに冷えそうだね」

「でも,あんたは二人だから寒くないだろうけど」

と,にやりと笑って言った。

やがて,車が横づけにされ,

「あの人よ。可愛がってやってね」

言い残すと中に入っていった。

私は,車に乗り込み,

「こんばんわ,どうぞ宜しく」

と,挨拶をした。

女は何も言わず,車を発車させた。

五分ほど走って,着いたのは女のアパートのようだった。

私は一瞬戸惑いを覚えた。

そこは,二人がこれから行うことにふさわしい舞台ではないという思いがよぎったからだった。

「静かにのぼってね」

と,言いながら先に階段を登り始めた。

部屋は二階にあった。

鍵を開ける様子を見ながら,私は,目の前の女を犯すためにここに来たのではないかという錯覚にとらわれた。

それも,彼女の生活を侵すという形で。

部屋にはまさに彼女の日常があった。

赤いランドセルが机に置かれている光景は,私を狼狽させ,いたいけな少女をも犯したことになる自分を苛んだ。

「どうぞ,今ストーブを点けるから」

と,言って,炬燵に私を座らせた。

暖房を点けてから,顔を見て,

「あら,まだ若いのね」

彼女は,思わずつぶやいた。

その表情は,このようなことをする年代に私がまだ達していないことを意味するとも考えられた。

「何か飲む?」

「お茶を下さい」

「お酒はいらないの」

「もういいです。随分飲んだから」

彼女は湯を沸しに台所へ立った。

私は一体ここで何をしたいのか分かっていながら,その行為を正当化できずに,いつになく真面目な口調で,

「おねえさんには子供はいないの」

と,きいた。

「今はそんなことを話に来たわけじゃないでしょう」

その通りだった。

彼女にとっては,どうにもならない身の上話など煩わしいだけだったに違いない。

たててくれたお茶をすすりながら,私は身の置きどころがなくなっていく自分を感じ,そんな心中を察してか,

「遠慮しなくてもいいのよ。あなたは何か間違っているわ」

「おねえさんに三万円を渡してきたんでしょう」

「だったら,何故もっと割り切って考えてくれないの」

その目は潤いを湛(たた)えてじっとこちらを見つめている。

「もう寝ようよ。仕事で疲れているしね」

そう言って,明かりを消して,私の手を取った。

「そうだね,余計な事はなしだよね」

ネグリジェの下は素裸だった。

その手が私自身を刺戟してくる。

私は,彼女に任せたままでいた。

すると不思議に萎えた自分が反応し始めた。

「まだまだ若いのね。こんなに大きくなったわ」

私は,彼女自身をまさぐった。

そこは充分に潤っていた。

「して欲しい?」

「うん」

蒲団の中に潜り込むと私を口に含んだ。とても温かだった。

そして淀みなく刺戟されると,思わず声を出していた。

「いってしまうよ」

それでもやめようとしなかった。

私はいった。それを受け止めてくれた。

その後も,私は彼女自身を愛撫し続けていた。

「いいわ。とってもいい」

その言葉に誘いを受けて蘇って来た。

私は,彼女の中にゆっくりと入っていった。

夜は更けていき,二人の温もりだけが現実のものと感じられた。

「哀しくないかい」

私は,彼女の髪をなでながらたずねた。

「とても哀しいわ」

そう言うと,私に体をぴったりとくっつけてきた。

私は,彼女の体を抱きしめ,このまま夜が明けなければいいと思った。

女が一人で生きてゆくのは,私の想像を超えるということを初めて知ったのだった。

やがて,仕事の疲れからか,私の腕枕で眠ってしまった。

目がさえて眠れそうになかった。

私は,時には,あらゆるものを踏みにじってしまう肉体的な欲望が自分の中にもある,ということに気づいたのだった。

夜明け頃に眠気が襲ってきた。

「起きてよ。帰る時間よ」

私をゆり起こしている女には,昨夜見せた哀しい色合いはどこにも残っていなかった。

その顔を見たとき,現実に戻っている彼女に何も言う術を持たなかった。

そそくさと服を着ると,部屋を出て車に乗り込んだ。

旅館に戻ったのは六時過ぎであった。

夜具がきれいなまま残されており,私はそこにもぐり込んだ。

何とも言えぬ寒さが襲ってきた。

それは何か,私には分かっていた。

八時頃,昨夜の仲居さんが朝食を運んできた音で目覚めた。

「とてもいいお客さんだった」

「久しぶりに素敵な夜を過ごさせてもらった,と言っていたよ」

私は,それを聞いたとき,何か救われたような気持ちになった。

この旅に来て良かった,と彼女に感謝している自分に気づいていた。

(あとがき)
この掌編は,仕事に行き詰まっている時,気分を変えるために出かけた先での経験を書いたものです。

赤いランドセルが机の上におかれているのを見た時は,自分はひどく間違ったことをしているのではないか,と思ったことを憶えています。
結局,男の性(さが)でやってしまいましたが,その時,私は何かを飲み込んだのでしょう。

今でも,あの光景を思い出すと,苦いものがこみ上げてきます。
また,どんなことをしてでも生きていくという覚悟を見せられたように思っています。
唯一の慰めは,帰り際に仲居さんが言ってくれた言葉に尽きます(例えお世辞であったとしても)。

これとて,所詮,女が欲しかった男の理屈に過ぎないのでしょう。
今となっては,お二人の顔も思い出せませんが,人生の一瞬の邂逅とはいえ,私の中に鮮烈な印象を残しました。

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