歴史を学ぶことの大切さ

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若い人たちと話をしていて,最も困るのが世界の歴史に関することです。
彼等は,
「それは選択していないので分かりません」
と平然と答えます。

かつて高校の未習問題の時もそうでしたが,受験科目にないということで割愛していました。
又,生徒もそれが普通であると考えていました。
この状況は,非常に怖いと思っています。

例えば,今の欧州の姿,特に東ヨーロッパの姿を話しているとき,私が,
「ベルリンの壁がなくなって以来,東ヨーロッパは 19 世紀末の姿に戻りつつあるのではないか」
と言うと,必ず何名かが上述のようなことを言いいます。

歴史という過去を学び,その知恵を持って現在を分析し,ひいては未来を予測出来るとすれば,その知識を持ち得ないことは,大きく考えれば,自らの行動指針を持ち得ないことにつながるのではないか。

過去には戻れないし,これほど変化の速い現代にあって,未来を予測することは出来ないから無駄であると主張する人々もいることは事実です。
だからといって,「歴史」を学ばなくてもよいと言うことにはなりません。

「歴史は繰り返す」という言葉にもあるように,「歴史」を学ぶことによって,見えてくるものがきっとあるはずだと私は思っています。
最近,私は,『歴史「は」繰り返す』という表現は誤りで,正しくは,『歴史「を」繰り返す』というのが正しい表現ではないかと考え始めています。

「赤い楯」
この本の題名の意味をご存じでしょうか。
これは,世界的に有名なある財閥の「紋章」です。

その題名の本は,当時,仕事の帰りに時々立ち寄る小さな本屋にひっそりとおかれていました。
普通の単行本よりは少し大きく,上下2冊に別れており,各2,800円でした。
巻末の発行日を見ると,1992年5月15日とあります。
私は,目次に目を走らせながら,初めて見る名前に興味を覚えました。

「ロスチャイルド」
当時も今も,この名前が報道されることは全くと言っていいほどありません。
今まで,何度も読み返したが,その度に新たな発見がああります。

一度目は,何のことかさっぱりでした。
次々と系図が示され,一族の姻戚の拡がりを見せてくれますが,欧米の名前に親しんでいない者にとっては,理解することが困難でした。
事実,一度目は下巻を全て読み終えなかったことを記憶しています。

しかし,我々が知っている重大な事件は,一体どのように起こってくるのかが,おぼろげに見えてきたことを覚えています。
そして,我々が習った歴史というものが,真の事実に遙かに遠いことも。
この本によって,私の歴史観,世界観は変わったといっていいでしょう。

つまりは,「歴史は人が創る」という事実です。
一見当たり前のことのようだが,そこに欠けているのは,「誰が創るのか」という視点ではないだろうか。
だから,私は,『歴史「を」繰り返す』というのが正しい表現であると書きました。

これを読んで,「近代」は,「現代」の枠組みが創られた時代であると思いました。
そして,その構想を抱きながら,歩んでいる人の存在を知りました。
以来,私は,欧州の力は,巷で言われているほど落ちてはいないと考えています。

寧ろ,米国を表に出しながら,影で操っているのは,欧州の隠然とした力ではないのでしょうか。
特に,大英帝国の力は弱くなったと報道され,既成事実になっているが,本当にそうだろうか。
この本を読めば,それは事実無根であることが分かると思います。

今も出版されているかどうかは知らないが,是非手にとって読んで欲しい本です。
そうすれば,世界の見え方がきっと変わると思うし,おぼろげでありながらも,現在の状況が,過去のどの時代を「繰り返している」のかが見えてくるのではないだろうか。

「歴史は誰が書くのか」
我々が今まで知っている歴史は,一体誰によって書かれたものなのだろうか。
それは,その時の「勝者」若しくは「支配者」によって書かれます。

そこには,勝者の理屈や虚飾はあっても,敗者の「正義」はありません。
「教科書検定」を考えてみるとよいと思います。
教育という仕組みの中で記憶させられる知識は,全て支配者の考え方でしょう。

そこに疑問を差し挟むのは,余程の変わり者か,将来国家にとって危うい存在となる者とみなされます。
私の友人が,大学時代,講義の中で質問したことがあるそうです。
教授は,それに答えるのではなく,「黙って聴け」と命令したしました。

そうなのです。一般大衆は,従順にそれを受け入れることを,暗黙の内に要請されています。
若い人たちと話して思うことは,見事に「批判力」が失われていることです。
ある歴史的事象を捉えて,「これをどう考える?」と尋ねると,何も出てきません。

優秀な大学を卒業した者ほどその傾向が強いと思われます。
その意味を考えることは,受験には役に立たず,必要とされないからでしょうか。
「何故」ということは,人生にとって最も必要とされることではないのか。

その思考形態を奪うことで,「教育」は多大な成果を上げてきたのではないか。
教員も同じように育っているので,その奇妙さに気がつかず,体制に順応することが,当然と考えています。

メディアも,事象に対する2つの意見を併記して報道することはありません。
現代ほど,あらゆる手段を使って,一方的な価値観を刷り込まれている時代はないでしょう。

その意味で,体制が作り上げた歴史は固定化し,それに反駁する者は,益々集団からいびつな眼で見られます。
「誰が」このように時代をシフトしてきたのか知らないが,それは見事に成功しています。

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