自分を理解できるのは自分しかいません

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自分を本当に理解できるのはあなたしかいません。

最初からこんなことを書くと,非常に寂しい気持ちになるかも知れません。
何か世をすねているようで,人との繋がりを否定しているように感じますね。

多くの人は,周りの人に自分を理解してもらおうと努力します。
そして,自分のことを語ってもらいたい。
しかし,それが自己イメージに反すると,「あの人は私のことをわかっていない」と反発します。

相手は,外面的な部分やあなたの言動からあなたを「推測している」に過ぎないのです。
それをあなたは,「理解している」と誤って解釈してしまう。
また,それを期待している。

しかし,相手は,あなたが口にしない深層心理までは分かりません。
相手に過度な要求をする人は,そこまで理解して欲しいと願っています。
そんなことは本来不可能なのに。

よく考えてみて下さい。
あなたは,「親友」と思える人に全てを話していますか。
おそらくそうではないでしょう。
自分の中にある暗い部分まではとても話せるものではありません。

とするならば,相手は「自分の全てを理解できるわけではない」と思ってつきあう方がよほど健全と言えます。
若い時は,その切り分けがなかなか出来ないので,どうしても過度な部分まで期待してしまう。
それが,自分の期待に添わない時に,相手との亀裂を感じてしまう。

そこにエネルギーを振り向けて,結果に失望するのであれば,その様なことを期待するのではなく,自己を見つめて理解する努力をする方がはるかにいいと思います。
そして,自分の最も深遠な部分をのぞくことによって,さまざまあなたが姿を現してくる。
それでも全てではないかもしれない。

「こんなのは自分じゃない」と言われる人がいます。
その言葉は,持っている自己イメージと異なる姿を見せた自分自身に驚愕しているということを示しています。
でも,それもあなたなのです。

受容できるあなたと受容できないあなたを分けてはいけない。
そんなことをすると,あなたは「自我同一性拡散」という現象を起こしてしいます。
自分で自分を引き裂いていることになります。

その時々に姿を現す自分を全て受け入れていかねばなりません。
「泣いているあなた」,「笑っているあなた」,「怒っているあなた」,「苦しんでいるあなた」,全てあなたなのです。
あなた以外の何者でもありません。

それを受け入れていくということが「自分を理解する」ことなのです。
それは,あなたしか知り得ない「自分」なのです。
それを否定し続けると,最後には「自分の存在」すら否定することになってしまう。

何も自分を理解するための努力をしなさいと言っているわけではありません。
全ての姿の自分を受け入れるだけで充分なのです。
そして,時にはそんな自分を愛おしんでやって欲しい。
頑張った自分を褒めてやって欲しい。

私は,上記のように相手に期待して,その結果に失望を繰り返したと思う職員に言ったことがあります。
「もっと,自分を愛して慈しみなさい。そうでないと,あなたは人を愛することはできない」
私は,自分を愛していない人には,相手を愛することは出来ないと思っています。

自分を愛せるのはあなたであり,厳しくできるのもあなたであり,甘やかすのもあなたです。
全てはあなた次第であり,周りの問題ではないのです。

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