一般に人は何かに夢中になっていると,それに対する心理的な距離が近くなり,又,価値も高まります。
しかし,その心理的な距離の近いことが必ずしもよいことでない場合もあります。
又,人によっては適切な心理的距離感がつかめず,振り子の針が極端に振れるように,近いか遠いかの二者しかない場合もあります。
このような場合,その近さはある帰結としての距離感ではなく,無自覚なものになってしまっています。
例えていえば,こちらが余り相手のことをよく知らないと思っているにもかかわらず,いきなり距離を詰めてくる場合です。
相手はこちらに親和性を感じているのかも知れませんが,こちらはまだ何の結論も出していないが故に,その距離を縮めることはありません。
上記のような場合,全くこちらの距離感を度外視して,自分の心理的要素だけが絶対的なものになっています。
昨今は,この心理的な距離について感覚的に欠如しているのではないか,と思える人が増えているような気がします。
そのような人達は,いわゆる「中間」というものが存在せず,極端に近いか遠いかの二つしかありません。
私の経験で恐縮ですが,職場の後輩がそのようなタイプでした。
彼が人間関係の悩みを相談に来た時は,必ず原因は常に他者にあり,その他者を徹底的に排除しようとしていました。
そして,私がそのことに理解を示すと,どんどん彼と私の距離は近づいていきました。
ある時,私が,彼が原因とする他者にも長所があり,又その原因は彼自身にもあるのではないかと指摘すると,一瞬きょとんとした顔をして,そのあと苦渋の表情に変わったと思うと,私のそばから離れていきました。
以来,私は彼にとって「敵」となり,二度と近寄ってくることはありませんでした。
このように,私が彼と近い距離から中間的な距離にスタンスを変えたとたんに,その意味を理解することなく遠ざけてしまう。
「近い」ということが,彼にとってどのような意味合いを持っていたのかは推測するしかありませんが,彼の人生の中ではその繰り返しであったような気がしています。
その行動が人間関係を破綻させてしまい,「自分は一人である」という勝手な思い込みに走ってしまいます。
自己を突き放してみればわかることですが,自己愛の強すぎるタイプはそれが出来ません。
若年層の精神疾患が増えているといわれている中にあって,人との距離感というものが分からないこともその要因ではないかと思います。
そして,多彩な人間関係を築けないが故に,引きこもりやニートになってしまい,傷つきやすい「自己」は一向に修復されない状況が続きます。
全ての人間は,無条件に自分の味方になってくれるわけではないにもかかわらず,永遠に「無条件の味方」を探し歩きます。
その行為は決して自分を満足させてくれる結果を生むわけではないのにもかかわらず。
そのような人は,潜在的に自分を信頼していないか,自信を持てない人のような気がします。
それ故に,自分に同意してくれる人には一挙に距離を縮めてしまいます。
また,そこには自分の意志を貫くというような姿勢の弱さが垣間見える時があります。
その意志が明確であれば,他人の同意などは必要としないはずです。
心理学的には「未成熟な自己」の持ち主といってもいい。
暦年齢と精神年齢が同期していません。
ある種の乖離状態にあるといってもいいでしょう。
精神医学的には,「境界性人格障害」の範疇に入る方もいます。
このようなバランス感覚を欠いた人がどのようにして生まれてくるのかは不明ですが,適切な距離感を保てるることが円滑な人間関係には必要なことだと思います。