およそ先進国に住む人で,自分の暮らしが,その割合は別にして第三世界の人々の労働に依拠していることを知らない人はいないでしょう。
試しに,自分のまわりにあるもののタグや裏側を見て欲しい。
そこにかかれている製造国は,殆どが東南アジアだろうと思います。
それは,今や世界の経済システムとして,大企業が安い労働力を求めて徘徊した結果だろう。
それを買って生活している我々には直接関係がないかも知れません。
しかし,それを単なる事実として認識するのか,自分の感情を加えてそれを考えるのかによって見方は大きく変わってくるのではないか。
私は,何もその事実から罪の意識を持って欲しいと強制しているわけではありません。
勿論,現地の人たちはそれで生活が成り立っているのだからいいじゃないかとも言えます。
ところが,そのために満足な教育を受けることもままならず,一生をそれで終えなければならないとしたらどうでしょうか。
自分の身をそこに置き換えた時,あなたはどんな気持ちになるだろうか。
おそらく到底耐えられないだろうし,想像も出来ないかも知れません。
ひるがえって,自分が住んでいる環境を考えてみましょう。
彼らに比べたら恵まれているとはいえないでしょうか。
けれども,自分が苦しい時には,そんなことに思いを馳せる余裕がないから,自分は世界一不幸な存在と思ってしまいます。
ちょっと視点を変えて,彼らがそんなあなたを見た時はどう思うでしょうか。
何を考えている,と一笑に付されるか叱られるだけではないか。
そんな時,自分のまわりの範囲を拡大して,世界を見渡してみましょう。
その人達には失礼かも知れないが,自分は生存の心配をしなくてもよく,希望の持てる人生を送れる可能性をあることを考えてみて下さい。
そうすれば,自分の悩みや苦しみがどれほどのものかわかるはずです。
自分の苦しみだけが全てだと思う人は,一旦その苦しみを棚上げにして考えてみて欲しいと思います。
その事実を強く認識するだけで,自分に対する思いや「生きる」ということの意味が分かるでしょう。
少しは,気持ちが軽くなるかも知れないし,勇気をくれるかもしれません。
自分よりも過酷な環境で生きなければならないという現実はとても重い。
私はその事実を認識してから,自分の辛さが軽減されるようになりました。
このような表現は極めて差別的だろうと思うが,それは事実でした。
生まれた場所が異なるだけで,大きく変わる人生とは何だろうか。
何もヒューマニストなれと言っているわけではありません。
そういる人たちに少しでも思いを馳せることによって,自分の中に浮かんでくる何かがあると思います。
それを一度点検することで,自分のありようも変わってくると思うがいかがだろうか。
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