精神的にとても苦しくて,たっているのもやっとという時がありますね。
そんな時は,まわりの人の何気ない言葉によってでも倒れてしまう場合があります。
もう自分はぎりぎりまで追い込まれていてどうしようも出来ない状況ですね。
いわゆる気持ちが「折れてしまう」と表現します。
心の中で「ポキッ」という音が聞こえた感じがする。
自分がそれを自覚してしまった時は,自分で何とかするのは困難なのではないかと思います。
困難ではないのですが,非常に苦しくて,時間がかかる場合があります。
私自身も何回かそのような時があり,自分で気持ちを取り戻そうとしても,エネルギーが枯渇した状態なので元に戻すまで時間がかかりました。
他の記事で,「自分しか頼れない」と書いておきながら,以下に記すことは矛盾するように思われるかも知れませんがそうではありません。
「自分しか頼れない」というのは,あなたの基本的な姿勢を言っているのであって,どんな時でもそうしなければならないと言うわけではありません。
ただ,どんな時でも,先ずは自分で何とかしようとする姿勢を失ってはいけません。
問題は,それでもどうにもならない時なのです。
その時の状況として,あなたには「甘えられる」人がいるかどうか。
それは,両親や兄弟ではありません。
条件的には難しいのですが,あなたの姿をよく見ていて,ある一定期間だけでもそれを許してくれる人がまわりにいるかどうか。
そして,あなたを癒した上で勇気づけてくれる人がいるかどうか。
また,あなたより人生経験を積んでいる必要があります。
何故なら,同世代にあなたはそんな自分の姿を見せたくないだろし,相手が許容できない可能性もある。
上記のような人に出逢ったことのない人にとっては,「そんな人なんているのか」と懐疑的になるのは理解できます。
また,まだそのような状況になったことがないかも知れない。
私の経験からすれば,そういう人はいました。
それが,「ぼくを大人にした燿子さん」であり「私のパートナーになった珠希」なのです。
この二つの小説の一部には,私の実体験が入っています。
彼女達は,私の姿をよく見ていて,倒れそうになる私をやわらかく受け止め,愛おしんでくれました。
そして,私が立ち上がると離れていきました。
その時,私は彼女達に我が儘一杯に甘えていたと思います。
それは,一時的に母の胎内に戻る行為であったといっても過言ではない。
ですから,男女の恋愛感情とは少し違って,もっと深いものです。
男同士ではなかなかこうはいきません。
どうしても励まそうとするために厳しい言葉が出てしまう。
また,プライドもありますから,いくら親友でも自分の醜い姿をさらすのは抵抗がある。
私は男ですから,女性の場合はどちらがよいのかわかりかねますが,やはり女性の方がよいのではないかと思います。
何故かというと,このようなときは「母性」を必要としていると思うからです。
「父性」というのは,この場合あまり当てはまるように感じないのです。
私にも娘が三人いますが,苦しんでいてもどう声をかけていいのか分からない時がありました。
その様な時は母親が出ていって癒してやるしかありません。
胸に抱いて温めてやる必要がある。
このようなことは精神科医やカウンセラーが果たせることではありません。
彼らは職業でやっているだけであって,私という固有の存在だけを慈しんではくれない。
どこか割り切ったところがある。
いざというときに頼りになる人を見つけておくのも,あなたの人生で大切な要素だと思います。
「頼りの仕方」が何通りかあるとすれば,その為に何人かの人を見つけておく必要があります。
いわば,「心のシェルター」とでもいうべき存在ですね。
ただし,これは自分の危急存亡の時のためであって,日頃は「あなたの足で歩く」ということが基本原則であることはいうまでもありません。
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