大人に発達障害なんてあるのでしょうか

更新日:

最近,「大人の発達障害」についての報道が多くなっているように思います。
グーグルで検索すると,実に268,000件がヒットしてきます。

主なWebサイトを走り読みすると,何のことはない,単に個人の「特徴」に過ぎないと思われる内容が多い。
これを「障害」とするならば,極端にいえば,もう誰もが障害者と言っていいくらいです。

この「障害」は大人になるまで隠れていて,社会人になって複雑な人間関係の中に入ってくると見えてくるという。
その特徴は,自閉症スペクトラム(ASD),2つ目は注意欠陥多動性障害(ADHD),そして最後が学習障害(LD)となるらしい。

注意欠陥多動性障害は,おっちょこちょい、そそっかしい、落ち着きがない、取っ散らかりという言葉で表現されるようです。
これは,一般的に子供の特徴であるが,それが大人にも適用される。
昔からこんな子供は身近にいました。
強いて言えば,私もその一人です。

私は,小さい頃,やんちゃで,落ち着きがなく,母がどこかへ連れて行くと,落ち着いていないものだからかなり手を煩わせたらしい。
小学1年生の時,45分の授業時間中満足に座っていないので,先生が母に,机の前に座らせる練習をさせて欲しい,と父兄懇談で言われたと,後年笑って教えてくれました。
今であれば,完全な児童精神医療の対象でしょう。

学習障害は,ある特定のことがなかなかできなかったり,速度が遅かったりした場合のことです。
確かに,児童の中には,なかなか理解できない子供も見受けられます。
しかし,私の経験では,何回も繰り返し練習させることで理解させることは可能であり,一旦自分が「出来る」という経験をすると,自分から学ぶ姿勢に変化していきます。

現在は,そんな個別教育に時間をかけるよりも,ある一定の時間で出来る量の多寡で,一方的にレッテルを貼っていきます。
私の家内は,いくら教えても PC の取扱やソフトの使い方を満足におぼえません。

こんなことですら,「学習障害」にされたらたまったものではありません。
そんな人間はどこにでもいる筈です。
しかも始末が悪いのは,それを「障害(疾患)」としてしまうことです。

「障害」の二文字は,それを利用する側にとっては,打ち出の小槌といっていいほど便利な言葉です。
「○○障害」なんていくらでもあみだせるし,そこに権威という味付けを加えれば社会は簡単に受け入れてしまい,懐疑的な議論はかき消されてしまいます。

そのレッテルを貼られた人間は,もう我々とは異なる「異星人」となってしまい,社会からはじき飛ばされてしまいます。
そこに,体よく「支援団体」が出てきてあなたの就労支援をしましょうと申し出る。
精神科医は,それは心ではなく「脳」に問題があるから,この薬を飲めと言って処方する。

アスペルガーにしても,言っちゃ悪いが,一芸に秀でてそれしか知らない人は全てその障害をもっていることになります。
たまたま,その人が社会的に有名であるがために,誰もそんなことを言わないだけでしょう。
大多数の人はそうではないから,その診断をつけられてしまい,治療の対象にされてしまいます。

標題に戻ると,人間の「特徴(例えそれが負と思われることでも)」さえも「障害」の範疇に加えることによって,「医療の対象」にしようとしています。
これは,もう見事な製薬会社のマーケティングの賜物(たまもの)です。
従来子供に適用していたものを大人にまで拡大しようとする戦略です。
そこに,DSM の疾患の定義が拍車をかけています。

昔に比べて社会構造も複雑になり,適用しなければならない分野が多くなっていることは認めます。
だからといって,その適用に時間がかかる人間を「障害者」にしてしまうことには承伏できません。

自分がまわりの人間と異なるところがあるからといって,それを懐疑的に捉えて自分を「障害者」にしてはいけません。
それは,あなたの「個性」であって決して「障害」ではない場合があるのですから。

336px




336px




-健康のこと
-, , , , , , , , ,

Copyright© オヤジの備忘録 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.