子供・若者白書(平成29年版)によると,15~39歳の若年無業者(≒ニート)の数は,平成28(2016)年で約77万人を数えるといいます(下図)。
また,就業希望の若年無業者が求職活動をしない理由は,「病気・けが」や「勉強」を除くと,「知識・能力に自信がない」,「探したが見つからなかった」,「希望する仕事がありそうにない」という回答が多い(下図)。
短絡的な憶測や結論は,ものごとの実態を捉えきれていないという批判を承知で私の思うところを記してみたい。
また,当事者や支援者の反発があることも承知しています。
求職活動をしない理由として,下記の理由が挙がっています。
1.知識・能力に自信がない
2.探したが見つからなかった
3.希望する仕事がありそうにない
まず,「今日のパン」を喰うために働かなくてもよいという環境は恵まれていると言わざるを得ません。
私自身はそのような境遇にまで追い詰められた経験はありません。その意味では,私も甘い人間の範疇に入るでしょう。
しかし,私はそのような境遇に陥らないために,人生のあらゆる時間を使ってきたという些かの自負はあります。
上記のような理屈を振り回しても生きていけるのは,誰のおかげか真剣に考えてみたことはあるのですか。
自分が天涯孤独な状況を考えてみましょう。
誰も助けてくれないのは当たり前で,全て自分で何とかする必要があります。
「今日のパン心配をしなくてもよい」ということが多少でも保証されている環境にあるとすれば,「生存の保証」という意味では最大の恩恵を受けていることを忘れてはならないでしょう。
その上で,「自信がない」,「見つからない」という理屈をつけて延々とモラトリアムを延長しているようでは,結局何も得られないと思います。
私の経験で恐縮ですが,「自信」があってやったことは一つもないと言っていいです。
「自信」というものは,様々な経験を通じて培われてくるものだと思っています。
最初から「自信」のある者など誰もいないのではないでしょうか。
その為に,人はあらゆる努力を惜しまないのだろうと思います。
「見つからない」というのは,自分の目標を突き詰めて考えたことがない,ということと同義だと考えています。
また,そこには,見つかるまであらゆる経験をしてみる,という視点が欠如しています。
私とて,今までやってきた仕事が,それはおまえがやりたかったことか,と問われるとその自信はありません。
何故ならば,その仕事に対して自分の理屈を振り回す前に,喰うためと家族を喰わせることが先にあったからです。
繰り返しになりますが,やる前に理屈を先にたてたところで,得られるものは何もありません。
私も,学生時代にあることに悩まされて,半年間それしか考えなかった時期があります。
そこで,最終的に見えてきた結論は,「考え続けたところで何も見えてこない」ということでした。
換言すれば,「結論は出ない」というのが結論でした。
そこで私は視点を変えて,アルバイトに精を出し,そこで出会う人たちに色んな質問をしました。
そして,そこで教えられたのは,働くということとその姿勢でした。
その人達は,大企業の偉い人でもなければ,そこに勤務している人でもない一介の市井の人です。
しかし,私はその人達から多くを学んだと思っています。
その一部は,「生きていく哀しみ」と「ぼくを大人にした燿子さん」で書きました。
結論として言うならば,理屈を言う前に何事もまず経験してみろ,ということです。
理屈というものは,種々雑多な経験から生まれてくるものだと思っています。
暇つぶしにネットをして,訳の分からない情報に振り回されるより,社会の底辺で「額に汗して」働いている人の一言の方が遥かに重みがあります。
学生時代の苦しかった時,私を前に進めてくれたのは,そういう人たちの考え方と姿勢でした。
以上のことに反発を覚えて,「どうせ何も分かってくれない」,「何も分かっていない」という後ろ向きのすねた態度を示す前に,一度色んなことを経験してみたらどうでしょうか。
人生は一度きりしかないという事実にいち早く気づいた者だけが自分に拍車かけられる,と私は思います。
私は,その事実に気づくことが遅かったため,多くのものを失ってきました。
取り戻せないものは仕方がありませんが,失わなくてもよいものまで手放してはいけません。
もう一度,自分の人生についていかにあるべきかを,自分にたずねる勇気を持って欲しいと思います。
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