自分は一人だと思った方がいい時もあります

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人という字は,「一」の字がもたれ合っている姿を表していると言われています。
そのことから,人は一人では生きていけないという意味だと言う人もいます。

人との関係で言えば,直接的なものと間接的なものがあります。
人間関係という言葉は直接的な関係を意味するのでしょう。
一方,間接的というのは,身の回りにあるものは全て人が関わっているという意味であると解釈しています。

それなりに長く生きていると,自分の周りは利害関係のある人で占められるようになり,なかなか「もたれ合う」というわけにはいきません。
時には,それが自分の足を引っ張ってしまうことすらあります。
従って,そのような関係を欲するのではなく,「自分は一人である」と考えた方がうまくいくのではないか。

しかし,若い時は,人間関係に利害が伴うことはあまりありませんから,どうしても「誰か」を欲してしまいがちになります。
そして,それが実現しないと孤立感に苛まれる場合もあります。
ひどい場合には,精神的に病んでしまうこともあるでしょう。

最後には,「どうせ」自分は一人なんだと思うようになります。
そこには,他人との関係を求めても実現されないという「不全感」が横たわっています。
そして,自分を表出することをしなくなり,内実する自己は空虚な感じになってしまいます。

では,何故そこまで自分は人を欲しなければならないのかを考えてみたことはありますか。
「まわりがそうだから」とか「それが普通だと思う」という理由は,あなた固有の理由ではありません。
「まわりと同じでなければならない」自分がいて,そうでない状態を否定的にみています。

友人ができると,人生を「共に」歩んでいるという気持ちが湧いて,すごく楽になります。
ともすれば,永遠にそれが続いて欲しいと願います。

しかし,このような状態は,知らず知らず自分を縛っています。
その考えが固着してしまうと,ますますそれはひどくなります。
「そうでなければならない」という固定観念が自己否定を引き起こし,最悪の場合,その状況を打破する手段として,命を絶つことすら考えてしまいかねません。

そうではなくて,あなたの人生は誰も歩めない,という事実からすれば,「元々」は一人だったのであり,これからもそうなのです。
自分とまわりとの境界を明確にしていけば,必然的に,お互いは別の存在である,ということは自明の理になります。

言葉を変えて言えば,私とあなたとは違うのです。
こう書くと,すぐに「孤独」という言葉を思い浮かべますが,それとはちょっと異なります。
誤解のないようにして頂きたいのは,孤立無援になれ,と言っているのではないのです。

「独立」という言葉は,独りで立つという意味です。
その意味では,あなたは独立していないことになります。
また,それは「人をあてにしない」ということでもあります。

では,どうするのか。
それは,「人を頼む」ではなく,「自分を頼む」ということになります。
元々から一人であったとすれば,自分に頼まない限り前には進めないでしょう。

頼りになるのは「自分」であり,他人ではないのです。
その事実を意識した者だけが,自分自身の人生を歩み出すと私は思います。
しかも,それは早ければ早い方がいい。

若くして世界で活躍している人は,それをどこかで気づいたのではないか。
最初は,親が誘導したかもしれないが,最終的に決断するのは本人であり,歩き出すのも本人です。
そして,それに自分を賭けると決断し,自己を没入させていく。

ことの大小はあれ,あなたもその可能性を秘めています。
その可能性を信じて,もう一度自己を見つめ,誰を頼むのでもなく,「自分の足」で歩くことを考えてみませんか。

最初はうまくいかなくても,歯を食いしばって続ければ,必ず展望が開けてくると思います。
問題は,その時まで「自分を頼んで」粘れるかどうかに尽きると思います。

繰り返しますが,自分を助けられるのは自分しかいないのです。
そして,それは孤独とは違うことを忘れないで下さい。

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