あなたは,目標を設定する時はどのような考えに基づいてそれを行っていますか。
もしくは,行ってきましたか。
例えば,志望する大学を考えてみましょう。
昨今は,何でも偏差値で計る傾向があるので,現時点の偏差値を参考にしてそれに見合う大学を選びますか,それとも,現状を鑑みた時,到底不可能とも思える目標を設定しますか。
私の経験で言えば,その人が伸びるのは後者の方です。
何故ならば,その目標を達成するためにはかなりの努力を必要とし,そのためにあらゆる時間を使います。
そのことが,現状を維持しようとする人よりは,結果的に高い目標に到達させることになります。
偏差値というのは,「現時点」におけるあなたの位置を相対的に示しているに過ぎません。
まわりの大人(教師,塾の講師,両親)は,それを見て,無謀のことはやめろと言うかもしれない。
しかし,そんなことに耳を傾けていては,あなたの可能性をつぶしてしまうことすらあります。
受験の時期が迫って,いよいよどこを受験するのか決定しなければならない時までは,その御旗は下ろすべきではありません。
そして,「決定するのはあくまで自分である」,という強い信念を持つことです。
何故ならば,周りの言うことをきいたところで,その後のあなたの人生を保証してくれるわけではありません。
私は,それをきいたがために,うまくいかない事態が生じた時,「あの時,自分の思うようにしておけば良かった」,ということ言った人を何人も知っています。
自己決定をすることによって,後の事態を自分が引き受ける気持ちが湧いてくるのです。
換言すれば,自己決定は,どこにも責任転嫁できませんから,自己解決しか方法はありません。
それが,自分の人生を引き受けるということであり,自分の人生を歩むことだと思います。
もし,周りの意見をきくとすれば,それはあくまで参考意見であり,「最終決断は自分が行った」ということをしっかり自覚しなければなりません。
そうでないと,それは「あなた自身の決断」ではないことになってしまいます。
目標を高く掲げることが,自然に自分を鍛えてくれることになるのです。
安易なものを目指すのではなく,若い時は,一見,無謀とも思えるものが丁度いいかも知れません。
歳を重ねていくと,その為の時間が豊富にあるわけでもなく,家族がいたりして,それに邁進できる要素がなくなってきます。
従って,どうしても「守りの姿勢」からものごとを考えざるを得ません。
しかし,若い時は,守るものは殆どないとすれば,あらゆる時間を惜しみなく使うことができます。
そのことが,あなたを高見に押し上げていきます。
その相乗効果が,大きなエネルギーとして爆発する可能性があります。
結果はどうあれ,「夢中」になってやったことはあなたの中に残るはずです。
それは,あなたの密かな自信になっているはずです。
私は,若い時は,どんなことでもいいから,寝ても覚めてもそれしか考えなかったという熱病に罹ったような時期が必要ではないかと思っています。
高い目標を掲げて「成功しなかった」ということは問題ではありません。
大事なことは,その目標に向かって,「あなたは何をしたのか」ということにあるのです。
自分や周りに妥協しなかったという経験は,あなたの姿勢をかえるはずです。
それは,「決して諦めない」という自分を作り上げていくと思います。
私は,それが「独立」の第一歩ではないかと考えています。
本田宗一郎の薫陶を受けた部下の方は,
「オヤジの目標は余りに高くて,到底実現できないと思うことがあった」
そんな時,本田宗一郎は,
「やりもせんで何が分かる」
と,言って一人でやろうしたそうです。
私は,その原動力が,バイクで世界一のメーカーになり,F1でも世界を席巻することができた要因だと思います。
そして,その可能性は誰にもあると私は思っています。
ただその違いは,それを明確に意識して前に進むかどうかだけだと思います。