たまには違う風景を眺めてみましょう

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私は,大学2年の時,ある出来事が引き金になって,約1年うつ状態で過ごしたことがあります。
当時(70's)は,現在ほど自分の状況を簡単に調べることはできなかったので,何が起こってしまったのかわからず,非常に苦しい思いをしました。

実家を離れていましたから,誰もその様子を気づいてはくれませんので,非常に辛かった。
元々外向的な性格ではなかったので,それを誰かに打ち明けることもできませんでした。

そうこうするうちに,外出するのも面倒になり,今でいう「ひきこもり」状態に陥ってしまいました。
心理的には,「このままの状態ではいけない」ということはあるのですが,何かに呪縛されているようで,それを解き放つ術を持ち合わせていませんでした。

3ヵ月くらいしてからでしょうか,私はなけなしのお金を持って,一本の列車に乗りました。
目的地は定まっているわけではなく,ただ,毎日同じ部屋にいても仕方がないという思いだけがあって出かけたのです。

車窓を流れる風景や周りを行き交う人の姿を見ても,それは網膜に映る映像に過ぎず,何の感情も湧いてきません。
ただ目の前を流れていくだけです。
しかし,流れていく風景が変わっていくにつれて,風の流れや新鮮な空気などが自分の中に入ってくるのが少しは実感できるようなりました。

終点で降りると,私はあてもなく歩いていました。
そうすると,目に映る風景が現実味を帯び始め,何となく反応している自分がいました。
それでも,塞がっている気持ちがはっきりとは変わっていったわけではありません。

その日は,自分の部屋に戻るのが何となく嫌になり,たまたま見つけた民宿に泊まりました。
夜中になってもなかなか寝付けず,真っ暗な中で天井をぼんやりとみていた記憶があります。
翌日は,途中下車を繰り返しながら,部屋に戻りました。

その時,去来したのは,「もういいんじゃないか」,「もう充分苦しんだ」という自分に対する思いでした。
その感覚を忘れたくなくて,あてのない小旅行を繰り返しました。
そのうち,その思いは自分の中で確信に近いものにかわるにつれ,目の前の風景がありありと自分の中に入ってくるのがわかりました。

その風景は,今でも鮮明に思い出すことができます。
あの時,私の前を通り過ぎていった風景の刺戟が,私に何かをもたらしたと思っています。
それが何かを言葉で表すことは困難ですが,確かに何かがありました。

その経験が,私をあの状況から抜け出させてから,後年,仕事に行きづまったりした時は,ふらっとあてのない旅をすることが多くなりました。
日常から抜け出して,見たこともない風景に自分を曝すことで,何かが蘇ってくる。
時には,自分の悩みがばからしくなってきて笑いたくなることもありました。

苦しい時は,その場に留まっていないで,あてのない旅に出ることも有効と思います。
その時には,スマホなどという現代の異物は自宅に残しておくことが必須です。
そうでないと,「日常から抜け出す」という目的を達成することはできませんから。

最後に,苦しんだり悩んだりしたことは決して無駄になりません。
本田宗一郎も言っています,「人生にむだはない」と。

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