「トレンドに左右される人は,永遠にブランドの犠牲者になる」といいます。
トレンドの意味をWebの辞書で調べますと,「傾向,趨勢」とありました。
トレンドの変化によって,買い手は購買意欲を刺激され,ブランドという付加価値がつくことにより,その意欲は増します。
しかし,変化の度合いが早すぎたりすると,買い手は追いかけられない状況になって(お金が無くなる),諦めてしまいます。
反面,遅すぎると,変化の無さに飽きられます。売り手には,変化をコントロールする匙加減が求められます。
一般に,人は,刺激が強すぎても,弱すぎても,それが一定であればあるほど,刺激に対する「慣れ」が生じ,感覚が鈍磨してきます。
そのため,刺激(ここでいえば,トレンドの変化の間隔)は,適度な間隔と強弱を必要とします。
一例を挙げてみます。
ここに,ズボンが3本(色は,黒,紺,グレー),シャツが3着(白,ブルー,グレー)あるとします。合計で9通りの着方が可能ですね。即ち,ズボンを基本にしますと,黒×(白,ブルー,グレー),紺×(白,ブルー,グレー),グレー×(白,ブルー,グレー)となります。
毎日着替え,且つ,同じ組み合わせは1日のみとすると,9日間は異なる組み合わせが可能ですが,10日目からは上記のどれかを選択することになります。即ち,言葉をかえますと,2巡目からは,以前の刺激を受けることになるのです(例えば,黒×白)。
つまり,この例からいけば,9日の間隔が,長い(これだけの服があればいいと考える)と感じられる人もいれば,短い(この服の数では少ない)と感じる人もいます。
短いと感じる方は,刺激に対する「慣れ」が早いといってもいいと思います。トレンドを作り出す側にとってみれば,こういう方には,サイクルをもっと長くする。着る種類を増やすわけです。ここに,購買活動への刺激が発生します。
この間隔をどんどん短くしていくと,毎日着ている服に満足しなくなります。
常に,新しいものを求める自分が存在します。ただ,前述したように,早すぎると追いつけなくなりますね。そのような場合は,スピードを緩めます。間隔を少し長くするのです。
逆に,長いと感じる人にはどうすればいいのでしょう。ここに登場するのが,刺激の強弱としての「ブランド」だと思います。刺激に変化を持たせると,間隔よりも強弱に引きづられていきます。
売り手も商いですから,買ってくれなければ潰れてしまいます。どれだけ長く買い手を引っ張れるかを考えた上で,トレンドの変化を起こすと思います。
スーツのズボンから襞(タック)がなくなってしまいました。タックのあるズボンを売る間隔(期間)が長くなっていると,判断されたのでしょう。
しかし,100店舗の内,ノータックが20店舗にしかなかったら,それはトレンドといえるでしょうか。少なくとも,80店舗以上が,棚からタックのあるズボンを引き上げないとトレンドにはなり得ないと思います。
しかし,1店舗でもトレンドの変化を起こすことは可能です。
それは,刺激の強さとしての「ブランド」です。ファッション・リーダーたる「ブランド」が変化を起こせば,他は追随しなければ,買い手が離れてしまいます。
ここで,大切なのは,業界が一斉にトレンドの変化を起こすことです。端的に云えば,棚からタックつきのズボンをなくしてしまうのです。すると,買い手は変化を感じます。
何処に行っても,ノータックしかなければ,益々その意は強くなるでしょう。そして,巷に溢れだすと,自分の履いているズボンが陳腐化して見えてきます。トレンドに敏感な人ほど,感じ取るのが早くて強いと思います。
「隣の芝生は青い」のです。
冷静に考えれば,その違いは,相対的なものであるにもかかわらず,絶対的な感じを持ってしまいます。
トレンドの怖いところは,価値観の画一性をもたらし,ともすれば,「個性」という人間の最も魅力的な特性を否定してしまいかねないことです。
ズボンでいえば,ノータックが流行し始めると,ノータックもツータックも,所詮,ズボンの味付け(テイスト)に過ぎないのに,私のようなツータックの好きな人間は「遅れている」と見られるのでしょう。
人間には,「飽き」と「慣れ」が習性としてあります。
自分の「飽き」と「慣れ」を自覚しつつ購買活動を続けるならば,それも楽しみの一つではあります。
私は,この項で,トレンドやブランドを批判している訳ではありません。
売り手は商業活動なのですから,有り体に言えば,ユーザーがその動きにのらなければいいだけなのです。
仕掛け人と駆け引きすることは,ある種の醍醐味でもあります。但し,それは,あくまで生活が破綻しない程度においてですが。