ぼくは,大学を卒業したが就職に失敗し,以来自宅にひきこもってから三年が経過していた。
三十社に応募したが,半数以上は履歴書の審査で撥ねられ,面接に至ってもうまく回答できなくて,もうどうしたら内定をもらえるのか分からなくなっていた。
元々気が小さい方だったから,面接官の前で緊張してしまって頭が真っ白になってしまうことが多かった。
両親は憔悴していくぼくを見ていたので,しばらくゆっくりさせて欲しい,と言った時何も言わなかった。
両親もしばらくしたら気持ちも晴れて就活をやってくれると思っていたのだろう。
ぐずぐずした気持ちが晴れないまま過ごしていると,いつの間にか三年経ってしまい,
「もうそろそろ活動したら」
と母親も言うのだが,
「わかってるよ」
と生返事を繰り返していた。
自分では,何とかしなければといつも思っているのだが,きっかけがないのでそのままになっていた。
そんな時,駅から五分ほど歩いた繁華街の一画で,二階建ての建物の工事を行っており,一階はコンビニが入るらしく,従業員募集の張り紙があった。
張り紙には,長期のアルバイト募集とあり,三交代制らしい勤務時間が書かれていた。
そこは自宅から自転車で二十分くらいのところだったから,このままではいけないと思っていたぼくは,思い切って連絡をとってみることにした。
電話に出たのは女性だった。
「従業員募集の張り紙があったので連絡してみたんですが。まだ空きはありますか」
「ありがとう。もう深夜勤務しかあきはないんだけどいいかしら」
「大丈夫です」
「それじゃ面接させてもらうから,明日の午後一時に現地でお会いしましょう」
「わかりました」
翌日現地で待っていると,女性が歩いてくるのが眼に入った。
お互いに自己紹介をした後,一階の中に入るとそこは殆ど内装工事が終わっていた。
紗江子さんは,女優の木村佳乃に似ていて,スレンダーな綺麗な女(ひと)だった。
年の頃は四十歳くらいだろうか,ぼくよりかなり年上で落ち着いた感じがした。
ぼくの提出した履歴書を見て,
「今まで仕事をしたことがないの」
「はい」
「どうして?」
ぼくはうつむきながら小さな声で,
「就職活動に失敗して,しばらく家にいたら三年経っていたんです」
「なんとかしようと思わなかったの」
「それは思いました。ですからこうして応募したんです」
「そうね。ところであなたはいつもそんな小さな声で話すの」
「気が小さいからすぐに緊張してしまうんです」
「でも,大きな声を出さないと元気も出ないわよ」
「わかってます」
「努力できる?」
「はい」
「その言葉を信じて採用させてもらうわ」
「ありがとうございます」
「いつまでも下を向いてないで私の方を見なさい」
ゆっくりと顔を上げると,目の前には紗江子さんの明るい笑顔があった。
「ところで,開店準備から手伝って欲しいんだけど」
「はい」
「ありがとう」
「それまでに人の眼を見て話すことともう少し大きな声を出すことを練習してきなさいね」
「わたしはこの二階に住むつもりだから,引っ越しが終わったら連絡するわ」
「わかりました」
「それじゃ宜しく」
ぼくは,アルバイトとはいえ何とか仕事にありつけて嬉しかった。
一週間後に紗江子さんから連絡があった。
朝九時に店に行くと,そこには他の人たちもいた。
自己紹介が終わって,運送屋が商品を搬入し始めると,他の人は手慣れた様子で陳列していた。
ぼくはどうしていいか分からなくて突っ立っていると,
「何をしてるの。あなたもやらなきゃダメじゃないの」
「どうしたらいいかわからなくて」
「それじゃわたしが指示してあげるから」
と,言って紗江子さんはぼくに指示を出した。
ぼくは紗江子さんの言うとおりにするので精一杯だった。
夜八時頃に一応の準備は出来た。
紗江子さんはみんなに向かって,
「今日はどうも有り難うございました」
「明日七時から開店ですからよろしくお願いします」
と言いシフト表を配った。
ぼくは,深夜勤務で紗江子さんとペアになっていた。
休みは土曜日しかなかった。
ぼくは,紗江子さんに残るように言われたので店で待っていた。
紗江子さんは,おにぎりを作って二階から下りてきた。
「お腹すいたでしょう」
「こんなものしかできないでけど食べましょう」
レジの奥の休憩室でおにぎりを食べながら,
「もっと大きな声を出さないと」
「まだ時間あるわね」
「はい」
「他の人たちは経験者だからあまり心配してないの」
「でもあなたは初めてだから少し練習してみようか」
「わかりました」
紗江子さんは,レジの使い方を教え,明け方に商品が届くから陳列することなどの業務内容を説明した。
「ところで,少し厳しいことを言ってもいいかしら」
「何ですか」
「深夜勤務の人は,他の時間帯の人に比べて時間給が高いわね」
「そうですね」
「あなたはまだ半人前だから,私がいいというまで日勤の時間給と同じにさせてもらう」
「はあ」
「それが気にくわなきゃ辞めてもいいけれど,わたしは他の人に申し訳ないの」
「みんなあなたの様子を見て,仕事が出来るかと思っているわよ」
「だから,一人前になるまで我慢できる?」
ぼくは仕事が出来ることが大事と思っていたから,
「はい」
「わたしが一人前にしてあげるから心配しないでいいわ」
ぼくは,紗江子さんを信頼することにして,その条件をのんだ。
「じゃ,明日午後九時四十分までに来てね」
「わかりました」
こうしてぼくと紗江子さんのコンビは始まったのだった。
翌日言われた時刻に店に入り,制服に着替えた。
店内にレジは二つあったが,使用するのは奥だけだった。
「深夜帯に入ってくるとお客さんはまばらになるからひとつしか使わない」
「わたしがお金の授受をするから,あなたは商品を袋に入れてくれる?」
「わかりました」
最初のお客さんが来て,何点か商品を持ってレジのところにやってきた。
ぼくは緊張してしまい,下を向いたまま袋に入れてお客さんに渡した。
すると,紗江子さんが,
「うつむいたままだと陰気な店員だと思われてしまう」
「相手の眼を見るのが恥ずかしかったら,顎を見るようにしなさい」
「それだけでも,相手には顔が上がっているように見えるから」
ぼくは,次からの客には紗江子さんの指摘通りにした。
午前二時を過ぎると客は殆ど来なくなった。
紗江子さんは店内を見て回っていた。
レジのところでぼんやりしているぼくを呼んで,
「いいこと。わたしが店内を回ってるのは,商品の売れ行きをみることと何を補充するか確認するため」
「棚がガラガラな店には誰も買いに行きたいと思わないでしょう」
「そうですね」
「だから,あなたも時間があったら見て回って,うらの倉庫から補充することを考えないといけない」
「仕事というのは,言われたことだけが全てじゃない」
「むしろ,言われなくてもやることを見つけるくらいの姿勢でないといけないわ」
「何かやることはないか,と意識ながら店内を回っているうちに,商品を整頓する必要のある棚がわかるようになる」
「商品が乱れているところは,客が手にとって戻したところだから,綺麗にしておかないといけない」
ぼくは,そんな小さなことにも気を配っている紗江子さんに感心しながら,
「でも,そんなことどうして分かるんですか」
「ぼやーっと歩いていてもそれは見えないわ」
「何かを見るということと,視界に入るというのは違う」
「視界に入っても,そこに意識がなければ単なる風景過ぎない」
「言葉を変えると,単なる商品が乱れているという現象なのよ」
「そこに意識が加わると,それをなおさなければいけないという行動を誘発する」
「だから,見るということは,自分が何かの目的を持って行動することなの」
「今言ったことに気をつけてぐるっと回ってきなさい」
紗江子さんに教えてもらったように,注意して回っていると,乱れた棚や冷蔵室の棚に商品がないのに気がついた。
ぼくは,奥へ行ってコーヒーの箱を持ち出して,冷蔵室の棚を埋めた。
紗江子さんはいつの間にか後ろにいて,
「そうよ。そういうことをするのが仕事というものよ」
と,優しい声で言った。
ぼくは,客が来ない時は暇さえあれば陳列棚を整頓して商品を補充した。
午前六時頃に運送屋が商品を運び入れてきたので,お弁当やおにぎりを棚に並べた。
おにぎりを並べる棚は三段あった。
紗江子さんは,並べているぼくのところの来て,
「ちょっとこっちへ来て」
と,言い,棚から五メートルくらい離れているところに立った。
「ここから見ると,あなたは何段目の棚が目に入る?」
「二段目かな」
「そうね。先ずお客さんはそこに目が行くわね」
「その棚に一番売りたいと思う商品を陳列するの」
「棚には何気なく商品が並べられているようだけど,全て計算されている」
「売る方は客の購買行動を研究して,並べる順番や棚の大きさまで考えているのよ」
「コーヒーやお酒の入っている冷蔵室はドアがあるわね」
「はい」
「だけど,同じ冷蔵でもサンドイッチやカット野菜の棚にはドアがないでしょう」
「そうですね」
「ドアがあると,商品がよく見えないのかどうか知らないけど,売れないらしいの」
「紗江子さんはそんな会社で仕事をしていたんですか」
「別れた旦那がその方面の仕事をしていて,そんな話を散々聞かされたから」
「その話はまた機会があったらしてあげる」
「そろそろあがりましょう」
時計を見ると,勤務時間が過ぎていた。
交代の人が押しかけてくる客をさばいていた。
ぼくは紗江子さんに挨拶して店を出た。
家に着くと,疲れがどっと出てきて,泥のように眠った。
それは,何年も味わっていない心地よい疲れだった。
夢中になってやっていると,一週間はあっという間に過ぎた。
リズムが出来るまでは大変だったが,体が慣れてくると少しずつ楽になってきた。
紗江子さんは,ぼくに教える内容をきめていたようで,
「今週は,接客をやりましょう」
「わたしがお客さんになってあげるから」
と言って,一旦店を出て再び入ってきた。
ぼくは,いらっしゃいませ,と言ったつもりだったが,紗江子さんには聞こえなかったようで,
「声が小さいわよ」
「もっとしっかりした声を出しなさい」
「大きな声を出すとエネルギーが湧いてくる」
「声のでない人は気力も充実しない人よ」
「じゃあやってみよう」
何回か声を出したが,紗江子さんの合格はなかなか得られなかった。
「先ずは,いらっしゃいませ,と,ありがとうございましたの練習ね」
紗江子さんは決して怒る様子は見せず,いつもにこやかな笑顔を絶やさなかった。
ぼくは,我慢しながら笑顔で教えてくれる紗江子さんに惹かれていった。
家に帰って部屋で練習していると,余りに声が大きかったのか,母親が不思議な顔をして,
「何をしているの」
「挨拶の練習」
「そんなことまでしなきゃいけないわけ」
「そうじゃないけど」
「頑張りなさいね」
と言って出て行った。
ぼくは紗江子さんが褒めてくれるのが嬉しかった。
その為に練習しているといってよかった。
「声が出るようになったじゃない」
「はい」
「気持ちにはりが出てくるのが分かるでしょう」
「わかるようになりました」
「それを忘れないでね」
紗江子さんの優しさは,ぼくを益々虜にしていくようだった。
仕事にも慣れてきて,半年が経った頃,紗江子さんにきいたことがある。
「紗江子さんは,どうしてそんなに親切にしてくれるんですか」
「どうしてかなぁ」
ちょっと首をかしげていたが,
「どうせ一緒に仕事をやるんだったら,楽しくやらなきゃ損じゃない?」
「それはそうですけど」
「もう一つはね,あなたの顔を見てると何か放っておけない感じがしたの」
「どうしてですか」
「どうしてかはわたしにもはっきりとは言えないわ」
紗江子さんはどことなく含みのある笑顔を見せて言った。
ぼくは,紗江子さんと二人きりでいるのがとても心地よく,これから先もここで働きたいと思っていた。
そんな心境を察していたのかどうか分からないが,ある日,紗江子さんが,
「あなたはずっとここで仕事をしていくつもり?」
「当面はそうしたいと思ってます」
「そう。それは有り難いけど」
続きを言いかけた時,お客さんが来て話はそのままになってしまった。
その後も,紗江子さんは続きを話してくれそうになかった。
ぼくは,レジに立つことも出来るようになり,紗江子さんのいう「一人前」に近づきつつあった。
「来月から時間給を上げさせてもらうわ」
「でも,まだ半分だけよ」
「わかりました」
ぼくは,紗江子さんが少しは評価してくれていることがわかっただけで充分だった。
その夜,紗江子さんはとても疲れているように見えた。
午前四時頃,棚に商品を補充して奥に入ると,紗江子さんが机に突っ伏していた。
「どうしたんですか」
紗江子さんは,少し顔を上げたがまた机に伏せてしまった。
「大丈夫ですか?」
「うん」
くぐもった声はとても疲れているようだった。
「少し二階で休んで下さい」
「ありがとう。でももう少しだから」
「だめですよ。昼間も店の様子を見てるから寝てないんじゃないですか」
「ぼくが交代まで何とかしますから」
それは自分に自信があったわけではなく,惹かれていた紗江子さんの身を案じて出た一言だった。
「それじゃお願いしようかな」
「そうして下さい」
紗江子さんは起き上がって歩き出そうとするが,ふらふらしているので,思わず紗江子さんの左腕をとってぼくの肩に回した。
「ありがとう」
もたれてきた紗江子さんからは,化粧の甘い香りと柔らかな躰を感じた。
店の裏側から紗江子さんの居宅への階段を上り,ドアのカギを開けて中に入るのを手伝った。
電気を灯すと,そこは女性の匂いがした。
紗江子さんをソファに寝かせて部屋を出て店に戻った。
運良く,交代の人が来るまではあまり客が来なかった。
客が増え始めた頃に交代の人が来てくれたので助かった。
「オーナーは?」
「ちょっと体調悪くて二階にいます」
その時,ぼくだけが,紗江子さん,という呼び方をしていることに気づいた。
他の人たちにとって,紗江子さんは,自分を雇用している人でそれ以外に何もない。
けれど,ぼくは紗江子さんを一人の女性と見ていて,オーナーであることを意識したこともなかった。
それは初日からずっと二人で深夜勤務をしてきたからかも知れない。
紗江子さんもぼくに対してそんな素振りは見せなかった。
ぼくは,店が終わると心配で,失礼かなと思ったが,紗江子さんが寝ている二階をたずねた。
ドアをノックしても返事がないので,そうっと開けると,紗江子さんはソファに寝たままだった。
近づいていくとその気配を感じたのか,紗江子さんは目をあけた。
「終わったの」
「はい」
「悪かったわね。一人にして」
「何とかなりました」
「いいえ,違うわ」
「あなたが何とかしたのよ」
「あなたが一人でやる気持ちがあったから何とかなったの」
「そうですか」
「そうよ」
「お礼をしなければね」
そう言うと,のぞき込んでいるぼくの顔を両手でつかむと,自分の方に引き寄せキスしてくれた。
「ごめんなさい。はしたないことして」
紗江子さんはぼくの顔を離して,目をそらしながら,
「この前の続きだけれど,あなたはわたしの初恋の男(ひと)に似てるのよ」
「だから,何とかしたいと思ったの」
「それに,あなたがわたしに惹かれてきているのも分かったし」
「そうですか」
「大人の女をなめちゃいけないわ。坊やの気持ちくらい手に取るようにわかる」
ぼくは,自分の気持ちを見透かされていたのがわかって赤くなってしまった。
「でも,あなたはこんなおばちゃんに惚れちゃいけない」
「もっとふさわしい女(ひと)を探しなさい」
ぼくは自分の気持ちに我慢できなくなって,
「そんなことを言われても好きなんです」
と思わず言って,紗江子さんに抱きついていた。
紗江子さんは,やさしくぼくの頭を撫でながら,
「わかってるわ。一時の気の迷いなら許してあげる」
「でも,あなたはここを土台にして新しい仕事を探しなさい」
「そうすることがあなたのためよ」
ぼくにもそのことは分かっていた。
「じゃぁこうしましょう。あなたが新しい仕を事見つけてきたらご褒美をあげる」
「それまではここでしっかり仕事をしなさい」
「うん」
まるで姉に諭される弟の気分になっていた。
その後,ぼくは面接を受ける会社を紗江子さんに報告し,色んなアドバイスを受けた。
時間のある時は,模擬面接までしてくれた。
紗江子さんの質問は容赦のないもので,ぼくは再三答えに窮した。
答えられなかった質問は,もう一度考えてくるように紗江子さんに言われた。
始めの頃は,面接に失敗して不採用を繰り返していたが,紗江子さんの励ましと訓練のおかげで,ある程度の質問には的確に答えられるようになった。
それから半年が過ぎ,ある会社が内定を出してくれた。
紗江子さんに報告すると,
「よかったわね」
「ありがとうございます」
「ご褒美をあげると約束したの覚えてる?」
「はい」
「どんなご褒美が欲しい?」
ぼくは,ちょっとためらって,
「紗江子さんが欲しい」
紗江子さんは,あらあら,というような顔をして,
「大人のご褒美が欲しいのね」
と,意味深な笑いを見せた。
「だめですか」
「いいえ。約束は守るわ」
「あなたの最後の休みの日,午後九時頃来てくれる?」
「下の階段のところで待っていて」
「わかりました」
約束の時間に待っていると,紗江子さんが静かに下りてきた。
「行きましょうか」
紗江子さんの車に乗り込むと,郊外へ向けて車を走らせた。
その間,紗江子さんは何も言わずぼくも黙っていた。
ホテルに着くと,
「あなたは先にシャワーを浴びてらっしゃい」
言われるままにシャワーを浴びて部屋に戻ると,
「ベッドに入って待っていてくれる」
紗江子さんは浴室に入っていった。
紗江子さんは横に滑り込んできて,バスタオルを外すとぼくに躰を押しつけてきた。
紗江子さんの手がぼくをやさしく刺戟し始めると,ぼくはすぐに反応した。
部屋の灯りを調整しながら,
「やっぱり若いわね」
「初めてでしょう」
「うん」
「今まで女性とつきあったことはあるの」
「ないです」
「じゃあわたしが全く初めてということね」
「そうです」
その間も紗江子さんの手はぼくを優しく撫でていたから,ぼくはいきそうになっていた。
「紗江子さん,もうだめみたい」
紗江子さんにすがりついた。
紗江子さんはその動きを止めなかったものだから,ぼくはいってしまった。
「いったのね」
「うん」
紗江子さんは笑いながら,
「若いから直ぐに回復するわよ」
そう言って,布団の中にもぐり込んでぼくを口に含んでくれた。
その余りの気持ち良さに自分が蘇るのが分かった。
紗江子さんは布団の中から出てきて,やさしくキスしてくれた。
「女を知りたいでしょ」
ぼくの手を紗江子さんに導いた。
ぼくは紗江子さんに触れるだけしかできなかった。
「始めはそんなものよ。心配なんていらないわ」
紗江子さんはぼくの上になり,ぼくを自分の中に入れた。
「入ってるのわかる?」
「あんまり」
紗江子さんはゆっくりと動いた。
その動きがぼくを感じさせ始め,ぼくはまたいきそうになった。
「また」
「そうね」
紗江子さんは動きを止めてキスしてきた。
ぼくは紗江子さんの背中に手をまわし,女性の体の感触を味わった。
紗江子さんは再び動き始め,今度は最後までそれを止めなかった。
紗江子さんは体を離すと,
「どう,気持ちよかった?」
「うん」
「でも妊娠するかも知れない」
「心配しないで。わたしは大人よ」
「そんなことのないように準備はしているわ」
ぼくは紗江子さんの胸に顔をうずめた。
そこには,あまり大きくないが形のいい乳房があった。
「さわってもいい?」
「いいわよ」
ぼくはおずおずと紗江子さんの乳房や乳首に触れた。
しばらくそうさせていたが,
「もうそろそろ帰りましょう」
「うん」
ぼくは興奮の冷めやらないまま紗江子さんの車に乗り込んだ。
紗江子さんの自宅に着くと,ぼくにもう一度キスしてくれた。
「これはあなたの新たな出発のお祝いよ」
「だからしっかり頑張って立派な社会人になりなさい」
「うん」
「だから,どんなことがあっても店に来ちゃだめ」
「店の心地よさを思い出してしまうと頑張れなくなるわ」
「ここを捨てるくらいの気持ちで毎日を過ごすのよ」
それは,別れの言葉ではなくはなむけの言葉だった。
ぼくは,新たな職場で数年を過ごすうち,あの時紗江子さんが言ってくれた言葉の意味が分かった。
あれ以来,紗江子さんの言いつけを守って店には一度も顔を出していない。
そして,紗江子さんとの想い出は,ぼくの大切な宝物になっている。
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