しおりは,バイト先にあった喫茶店のウエイトレスをしていた。
そこは,色々な店がテナントで入っている郊外の大きなスーパーで,ぼくの店は二階にあり,しおりの店は一階の飲食店街にあった。
ぼくは三年生になっており,そこそこ単位が取れていたから,毎日大学に顔を出さなくてもよく,また,午後から授業のない日もあり,日曜日を含めると週に五日は店に顔を出していた。
昼食は,飲食店街の何軒かの店をかわるがわる利用し,時間があると,しおりがいた喫茶店でコーヒーを飲むことが習慣になっていた。
当時(70's)の時間給は現在の三分の一くらいで,下手をすると,昼食とコーヒーでその日稼いだ金額の半分を超えてしまう場合があった。
その店は,京都にある名の通ったコーヒー専門のメーカーが出店していて,この界隈では別格とも言えるおいしさだった。
ブルーマウンテンやキリマンジャロなどの有名な銘柄もおいてあったが,当時のぼくには手が出なかった。
しおりは,いつもストレートの長い髪を後ろでくくり,ブラウスとシンプルなスカートの姿で,ぼくに清楚な印象を与えた。
顔立ちは木村文乃に似ていて,素顔に近いその顔からこぼれる白い歯がとても綺麗だった。
ある日,いつものようにコーヒーを飲んでいると,しおりがこっちを見ている視線に気づいて,その方向に顔を向けた。
一瞬目があったので,しおりはあわてて目をそらし,ぼくを自分の視界から外した。
レジに行くと,しおりは伏し目がちになってお金を受け取り,頬は少し赤みがさしていた。
それ以来,ぼくは,しおりの視線がぼくを追いかけていることに気づくようになった。
気づかれているとわかっているのか,レジでのしおりは決してぼくの顔を見ようとはしなかった。
一週間後のある日,バイトを終えて駅への道を歩いていると,後ろから追いかけてくる靴音があった。
その靴音は,ぼくに追いつくと,
「いまおかえりですか」
と,言う声が斜め後ろから聞こえたので,ふり返るとしおりの姿がぼんやり見えた。
「うん」
追いついて横に並ぶと,
「いつもこの道を通るの」
「そう」
「じゃ,しおりといっしょですね」
と,はにかみながら言った。
歩きながら,
「まえから気になってたんだけど,店に行くと,いつもこっちを見てるだろ」
「いけませんか」
「いけなくはないけど。あまり行儀いいことじゃないと思う」
「だって,マスターの顔を見るのも飽きちゃったし」
すねたように言った。
その日の会話はそれだけだった。
翌週もしおりは相変わらずこちらをみていたが,その滞留時間は少しずつ短くなっていった。
<オレもマスターと同じく飽きられたかな>
ほっとした気持ちがわいたが,反面,寂しくもあった。
それから帰りが何度か同じになり,駅までとりとめのない話をすることがあった。
しおりは,ぼくの反対方向で,いつも真向かいのホームでぼくの正面に座った。
それまでは対象物を眺めているという感じが強かったが,ある日をさかいに,しおりの目に感情があらわれているのがわかった。
その目は,にこやかに笑っているときもあれば,物憂げな感じのときもあった。
やがて,ぼくもその目に応えるようになり,軽くうなずいたり,手をあげたりした。
秋も深まったある日,レジに立ったしおりは,うつむきかげんになって,
「これ」
と,小さな声で言って,二つ折りの紙片を差し出した。
ぼくは,他の客もいたので何も言わずそれを受け取った。
そこには,店が終わると従業員専用の通用口で待っている,と記されていた。
終わってそこに行くと,しおりは,顔を伏せて待っていった。
しおりは黙って駅に向かって歩き出し,ぼくもそれに従うことになった。
スーパーの野外照明が小さくなったところで,突然,ぼくに抱きついて,
「すき」
と,思いつめた声で言った。
ぼくは,しおりの目が示す黙礼に返礼していただけと思っていたので,その言葉におどろいた。
ぼくは,困ってしまい,
「一体どうしたの」
しおりは,何も言わず,さらにぼくを締めつけたものだから,
「痛いよ」
「どうしろというの」
「これ以上言わせないで」
「じゃ,次のバイトの帰りに返事するから」
「いまじゃなきゃいや」
と,駄々をこねた。
ぼくは,少女の雰囲気を残しているしおりの大胆さに少し戸惑っていた。
「もうすぐ店じまいした人たちがやってきて,こんな二人を見たらかっこう悪いだろ」
そう言っても,手をほどいてくれる気配もなく,
「いい」
その声は,自分の心を露わにし勇気をふりしぼって告白したという切迫感があった。
ぼくも,しおりをあながち憎からず思っていたので,
「わかったよ」
と,言うと,
「ほんとう?」
「うそじゃない?」
「うん」
「うれしい」
またきつくしめてきたので,
「痛いよ。もうはなしてくれよ」
ようやく解放してくれた。
横に並んで歩くしおりの長い髪が,外灯に照らされてきらきらと光っていた。
こうして,二人の関係は唐突に始まったのだった。
次の日,店にはしおりはいなかった。
ぼくは,今まで,しおりが店にいた日をはっきりと覚えていない自分に気づいた。
<それほど関心がないというのはこういうことか>
土曜日の午後に顔を出すと,しおりがいて,帰り際に,何も言わずピンク色のメモ用紙を手渡した。
その姿には,あの時の大胆なしおりの面影はなかった。
そこには,先日の簡単なお礼と店のシフトが書かれていた。
店がはねると,しおりは従業員専用の出口で待っていた。
駅へ向かいながら,
「この前はごめんなさい」
「どうしても言いたかったから」
「あそこまでしなくてもよかったのに」
「ああでもしないと逃げてしまうと思ったの」
その言葉は,しおりの気持ちの強さをあらわしていた。
「あれじゃ,一つ間違えば,ストーカーの女にはがい締めにされている男だよ」
しおりはくすくす笑いながら,
「そうね」
と,言い,ぼくの左手をそっと握ってきた。
それは,しおりの無言の求愛だった。
その手をやわらかく握り返すと,おどろくほど強い力で反応が返ってきた。
そのままで歩いていたが,駅に着いて,人影をそこここに見つけると,しおりはその手をはずした。
改札を入ると,
「おやすみなさい」
何ともいえない笑顔を見せて言ったかとおもうと,ホームに向かう階段をのぼっていった。
向いのホームに姿をあらわしたしおりは,ぼくをみとめて,軽く手を振った。
あくる日曜日の帰り,しおりは,ぼくのバイトの日を教えて欲しいと言ったので,
「水曜日以外は,ほとんどバイト」
「日曜日は?」
「第二,第四が休みかな」
「マスターに言って,しおりも休みにしてもらう」
「でも,もうシフト決まってるんだろ」
「いいの,ああ見えてもマスターはやさしいし,それにもう一人先輩がいるから」
そう言えば,あまり見かけないが,もう一人女性がいたことを思い出した。
しおりは,大学二年生で,女子校から女子大に進んだため男には殆ど縁がないとのことだった。
それで,あのような直情的なことをしたのか,と少ししおりを理解できたように思った。
約束した日曜日,ぼくはしおりを神戸につれていき,異人館を見て回り,中華街で食事をした。
しおりは,ずっとぼくの手を離さず,これじゃ何も知らない妹を連れて歩く兄貴じゃないか,と可笑しくなってしまった。
「なにがおかしいの」
「いや別に」
「うそ。しおりのこと笑ってたでしょ」
「ちがうよ」
「じゃ,何よ」
「しおりといると,楽しいなって」
「心にもないこと言って」
と,ふくれっ面(つら)をしたしおりをみて,抱きしめてやりたい衝動にかられた。
ぼくは,しおりのあどけなさに惹かれていく自分を感じていた。
「こんど必ず白状させてやるから」
そう言うと,強く握りしめてきた。
「帰ろうか」
「うん」
帰りの電車に乗ると,歩き疲れたのか,まもなくしおりはぼくの肩に頭を預けて眠ってしまった。
降車駅が近くなったので,
「しおり,起きろよ」
「ごめんなさい。眠っちゃった」
「オレここで降りるから」
電車を降りてふり返ると,しおりが手を振っていた。
しおりの自宅は,ぼくの降りた駅から三つ先の新興住宅街にあるらしかった。
しおりと逢うのは,木,土,日曜日の帰りで,お互いにバイトが休みの日曜日には,京都や大阪へ行ったりした。
あの日以来,しおりのぼくに対するふるまいは,誰が見ても分かるものだった。
しおりのいないある日,マスターが客が途絶えたのを見計らって,ぼくを呼び止めた。
「ちょっといいか」
「はい」
ぼくをカウンター席に座らせると,
「しおりちゃんとはうまくいっているのか」
ぼくがその言葉を解(げ)しかねているのを見て,
「黙っていても分かるよ」
「何しろ仕掛け人は俺だからな」
「どういうことですか」
「俺は,ある時,あの子の目線がいつもおまえさんを追いかけていることに気づいて,鎌をかけてみた」
「なんて」
「簡単なことさ。あの子に,おまえさんに惚れているのかと訊いた」
「すると,今時の子にしては珍しく,首まで赤くしてうつむいたんだ」
「こりゃ,ほんとに男を知らないうぶな子だと思った」
「でも,女は強いよな。知られてしまって開き直ったのか,俺におまえさんをふり向かせる方法を教えろと言うんだ」
「そんなことは,同級生にでも教えてもらえと言うと,そんなかっこう悪いことはしたくないと粘るんだよ」
「仕方ないから,成功の保証はしないと言って,あの夜のことを授けた」
「ポイントは,その場で答えを出させることだった」
「時間があくと,頭の中であれこれ理屈をひねり出してしまうから,その場でイエスと言わせることが肝心だ」
「よほど嫌いか別の女でもいない限り,すがりつかれたらどんな男でも悪い気はしない」
「それに,おまえさんは年上だから,あの子の純な気持ちを汲んでやれると思った」
「でも,ぼくに彼女がいたらどうするつもりだったんですか」
「そこは賭けだよ。いた場合は,謝るなりなんなりしてすぐにその場を離れて,二度とここには来るなと言っておいた」
「あの子の性格からすれば,ふられた男の姿を見ることに耐えられないと思ったからな」
「あの子は,おまえさんをひっつかまえて離さなかっただろ」
「それほどあの子は必死だったということさ」
「そうだったんですか」
「作・演出が俺で,主役はあの子とおまえさんだったというわけ」
「だから,俺が言うのもなんだが,あの子を大事にしてやってくれよ」
「あの子は,おまえさんと遊びに行った時のことを本当に嬉しそうに話すんだよ」
「俺には,あの子が歳の離れた妹に思えて仕方ないんだ」
「わかりました」
<だから,あんな劇的なことをしたのか>
ぼくは,自分がマスターの仕掛けにのってしまったことにちょっと悔しさを覚えたが,反面,しおりを思う気持ちがわかって嬉しかった。
四年生になって,ぼくは就職活動と卒論で忙しく,バイトも減らさざるを得なくなっていた。
また,しおりをあまり連れ出すことができなくなった。
土曜日の帰りの道中,しおりが,
「あしたはお店が休みだからアパートに行ってもいい?」
「かまわないけど,きれいじゃないよ」
「いいの」
朝十時頃しおりはやってきた。
昨夜,一応掃除はしたが,どう見ても片付いていない。
「きたないだろ」
「ううん」
しおりは,手に持った紙袋を示すと,
「お昼ご飯もってきた」
「ありがとう」
布団を外した電気こたつの前に座布団をおいて,
「そこに座れよ」
「うん」
物珍しそうにきょろきょろ見渡していたが,
「何か飲むものある?」
「棚にマスターから分けてもらってるコーヒーがある」
ぼくは,内緒でマスターからコーヒーを格安で譲ってもらっていた。
「お台所は?」
「そこに小さなやつがあるだけ」
やかんに水をいれ電熱器の上に置くとスイッチをいれた。
しおりは,手慣れた様子でコーヒーを入れると,二つ台の上に置いて座った。
「卒論は大変なの」
「文系だからそうでもないんだけど,調べることが多くて四苦八苦してる」
「それに会社の面接にも行かなきゃいけないし」
「そうよね」
「しおりの方は?」
「しおりは,割合順調に単位が取れてるからだいじょうぶ。週休二日になった」
「よかったじゃない」
「バイトの日は増やせたけど,あなたがいないもん」
「こっちへこいよ」
ぼくは,壁にもたれてしおりを手招きした。
しおりは,少し硬い表情で横に座った。
「足のばしたら」
「うん」
しおりの横顔は,出逢ったころに比べると大人びてきていた。
それは年齢がそうさせるのか,それとも経験がそうさせるかはぼくにはわからなかったが,おそらくその両方だったのだろう。
化粧は薄くしかしていない。
どこかで,若い女性の濃い化粧はあまり好きじゃないと言ったことがあって,しおりはそのことを覚えているに違いなかった。
こちらをむかせると,しおりの唇にぼくのものを合わせにいった。
しおりの頬は少しピンク色に染まっていた。
唇を離すと,体を預けてきた。
しばらくそのままにしていたが,
「おなかすいた」
その声で現実に引き戻されたのか,こたつにおいた紙袋を開けると,それはしおりが作ってきたお弁当だった。
「おいしい?」
「うん」
「こうみえても,お料理はすきだから,時々家でも作るの」
「おふくろの手料理を食べて以来だよ。実家に帰ってないから一年以上食べてない」
「そういえば,いつもはどうしてるの」
「飲食店街の惣菜屋なんかの売れ残りが安いから,それを買って適当に食べてる。米だけは送ってくるから」
「それじゃ,日曜日はしおりが作りに来る」
「いいのか」
「いいの。ここにいたらどこも行かなくていいから」
それからバイトの休みの日曜日には,かならずやってきて,お昼と晩ご飯を作ってくれた。
ぼくが卒論の下書きや調べものをしている時,しおりは持ってきた本を黙って読んでいた。
そして,晩ご飯を二人で食べてから帰って行った。
梅雨が明けて初夏に入ろうとする頃,抱き寄せてキスをしていたとき,ぼくの手が服の上からしおりの乳房のあたりに触れた。
ブラジャーをしていたとはいえ,しおりにとって男性に触られるのは初めてだったのだろう。
一瞬身を硬くしたが,かすれた声で,
「カーテンを閉めて電気も消して」
と,言い,黙って目を閉じた。
薄いブラウスのボタンを外し,ブラジャーの下におさまっている乳房を揉んだ。
しおりはぼくにしがみついてきて,手の中の乳房は湿り気を帯び,肌にもうっすらと汗が光っていた。
「このままじゃいや」
濡れた声に従い,ぼくは押し入れから布団を出して敷いた。
「うしろ向いて」
パンツだけになり後ろを向いていると,服を脱ぐ布がこすれる音がして,しおりが体を押しつけてきた。
向き直ると,しおりは一糸まとわぬ姿になっていた。
その姿は,自分の「全て」をぼくに捧げる決意を示していた。
顔は上気し,肌もピンク色に染まっている。
ぼくはしおりを抱き上げると,そっと布団に寝かせた。
しおりは両足を閉じ,顔を両手でおおっていた。
乳房をやさしく揉むと乳首が隆起し,思わずため息を漏らす。
胸からおなかまでを手のひらでゆっくり撫でると,感じてきたのか鳥肌になっていた。
しおりに生えているものはとても柔らかく,それほど多くなかった。
すこし足を開かせると,
「痛くしないで」
消え入る声で言った。
「うん」
しおり自身に触れ,しおりが手の感触に慣れるまでやさしく撫でた。
少しずつ息が荒くなり,しおりが濡れてくるのが分かった。
指をゆっくり入れようとすると,しおりが締めつけてきて,それをはじき出そうとするような抵抗があった。
まごうことなく,しおりは初めて男性を受け入れようとしているのだった。
ぼくは,しおりに自分をあてがい,愛液でそれを湿らせた後,しおりの中に入っていった。
入り口の抵抗がなくなったかと思うと,しおりのそれはぼくを中まで受け入れた。
ぼくはしばらくそのままにして,しおりの髪をさわると,それは濡れているようで,体全体がぼくを受け入れた感じがした。
しおりの両手をはずすと,目尻から一筋の涙が流れていた。
その涙を指でぬぐい,頬を撫でると,しおりは僕の手を強く握りしめた。
ぼくは,ゆっくりと動いた。
動くたびに眉間にしわを寄せていたが,その動きが滑らかになるにつれそれは消えていき,官能的な表情に変化していった。
しおりの中からゆっくりと抜くと,抱きしめて口づけした。。
しおりは,黙ってぼくの胸に顔をうずめてきたので,湿っている背中と形のいいお尻を撫でた。
そばに置いておいたタオルをしおり自身にあてて,中から流れてくる赤いものを吸わせた。
「起きようか」
うなずくと,ぼくに後ろを向くように言い服を着た。
しおりは,潤んだ目で見つめていたが,ぼくの胸にとびこんできた。
その髪を撫でながら,
「ありがとう」
と,言うと,
「しおりも」
と,言ってくれた。
カーテンを開け部屋の電気を点けると現実が戻ってきたようだった。
その日,しおりは晩ご飯を食べずに帰って行った。
ぼくは,しおりが来るたびに抱いた。
遅咲きだったかも知れないが,一旦開いた花びらは瞬く間に開花した。
十月に入り,遅い内定が来た。
しおりに話すと,うつむいて,
「そう」
と,言ったまま黙っていたが,
「どこかでお祝いしなきゃ」
明るい顔に戻って言った。
年が明けると,あっという間に卒業の季節が到来した。
しおりは,この先のことについて何もきかなかった。
バイトでお世話になったところへ挨拶に行った時,マスターが片目をつぶって,
「しおりを女にしたな」
「マスターのシナリオ通りですね」
「お世話になりました」
頭を下げて店を出ようとした時,背中に投げかけてきた,
「まだ続きがあるぞ」
というマスターの一言に,ぼくは「了解」の意味を込めて手を挙げた。
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