「あなたは,いつだって私の都合はおかまいなしね」
そこは,男と女が出入りするホテルで,天井には淡いピンクのスポットライトが点っていた。
珠希は,中年に達したタレントの城戸真亜子に似ていて,知的さの中にも成熟した女の艶っぽさがあった。
相当頭のきれる女で,私は何か新しい仕事に取りかかる時は,珠希をいつもパートナーに選んだ。
今回も,新しいところに工場を作りたいという社長の命令で地元交渉を行っていた。
「あなたは,新しい仕事になると,まるで子供みたいに後先関係なく夢中になるのよ」
「そうかな」
「自分では分からないでしょうけど,あなたの目つきが変わってくる」
「若い女の子たちは,その目つきと雰囲気が怖いと言っているのを知ってる?」
「知らない」
「彼女たちは,あなたに近づくとやけどしてしまうような感覚を持ってるわ」
「あの子たちは,そんな男性を見たことがないから,自分が焦がされるように思うの」
「そして,夢中になるあまり,自分を制御できなくなってくる」
「そんな時ほどあなたは私を欲しくなる」
確かに,日頃のルーティンワークをやっている時は,それほど欲しいという欲望が湧かなかった。
決まりきった仕事を毎日続けることに飽きてくる自分をもてあますこともあった。
そのことをよく分かっているのか,社長は新しいプロジェクトには必ずといっていいほど私を指名した。
新設の工場は,24時間稼働で自動車の部品を製造するため,住宅街の近くでは騒音が問題になっていた。
私は,連日自治会に呼び出され,騒音対策の注文をつけられていた。
自治会交渉は大抵夜で,終了してから自宅に帰ると深夜になってしまうので,近くのビジネスホテルに泊まることが再三あった。
そんな時,珠希を呼び出してしまうことがあり,珠希は文句も言わずそれに応じていた。
こんなに疲れているのに,珠希に電話している自分を不思議に思ったことがある。
「はい」
「俺だけど」
電話の相手が私だとわかると,珠希の声は湿ってくる。
「なに?」
「マンションの入り口で待っていてくれ」
そう言うと一方的に電話を切った。
深夜に近いマンションは,まるで廃墟のように真っ暗だった。
珠希が入り口で待っていた。
車に滑り込むなり私の口を塞いだ。
ワンピースの裾から手を突っ込む。
何もつけていなかった。
珠希は,私が何をしたいかを知っていて,いつでもそれが可能になるような服装をしていた。
いつだったか,ひどく暴力的な気持ちで珠希を抱こうとした時,ブラウスのボタンをはずしたり下着を脱がせるという儀式がもどかしくて,
「俺と逢う時は,すぐにできるようにしてくれ」
と,口走ってしまったことがあった。
珠希はそれ以来,私と逢う時は,いつもワンピース姿でそれ以外は何も身につけてこなくなった。
「早く出さないと誰かに気づかれてしまう」
私は,珠希の感触を確かめると,静かに車を発車させた。
道中,珠希は一言も発しないで前を見ている。
今日の仕事のできをきくこともない。
ホテルの部屋に入ると,珠希を抱きしめ,ワンピースのジッパーを下ろす。
そこに現れた姿態は,お腹に少し脂肪がついているものの,腰のくびれははっきりしており,乳首もピンとたっていた。
私が珠希の体を鑑賞している間に,珠希がワイシャツとズボンを脱がせる。
ワイシャツの下には何も着ないのが私の習慣で,珠希は膝をついて最後の下着を下ろすと,目の前のものを口に含んだ。
珠希の絶妙な舌の動きは私を男にした。
珠希は,私のどこを刺戟すれば男になるのかよく知っていた。
私は,ソファーに両手をつかせ,背中を見せた珠希の腰をつかむと,一気に奥深く入った。
「あっ」
その合図とともに激しく動かすと,珠希のあえぎ声は乱れ,それが私の欲情をかきたてた。
高まってくると,珠希のそこは私を締めつけ始め,イソギンチャクのように離さなかった。
だが,私は最後までいかずに珠希から体を離した。
「シャワー浴びようか」
ボディーシャンプーで泡だらけにした私の胸に,珠希は弾力のある乳房を押しつけ,上下に動いた。
その肉感的な動作と珠希の感触は,私を扇情的な気持ちにさせ,衝動的に珠希を抱きしめた。
「痛いわ」
気がつくと,珠希の背中に爪を立てていた。
私を洗い流すと,
「待ってて」
という声に促され浴室を出た。
部屋には何色かのスポットライトが設置されていて,私はいつも淡いピンクを選んだ。
それは,珠希の抜けるような白い肌をピンクに染めた。
珠希は,体に巻いたバスタオルを床に落とすと,うつぶせになって私をのぞき込み,
「どうしたい?」
「お任せするよ」
「フルコースそれともハーフ?」
それは,私と珠希だけの隠語だった。
「おまえは?」
「そうね。今夜のあなたはハーフで充分みたい」
「じゃあハーフでいこう」
「了解」
珠希は口づけしながら,私の男が臨戦態勢になるまで手で愛撫し,準備が整うと,私を収めるためにゆっくりと腰を動かした。
その動きは,私の男が珠希の中に入っていくさまをはっきりと自覚させた。
私を奥まで収めると珠希は動かなかった。
そのかわり,珠希の粘膜がヒルのように私にまとわりつき蠕動運動を始める。
私はその感触を味わいながら,珠希が我慢しきれずに動き出すのを待つ。
やがて,珠希の鼻息が荒くなったかと思うと,珠希は腰を垂直にたてて前後に動かした。
「あなたいきそう」
自分の言葉に昂奮した珠希は前後運動のペースを上げる。
「いく」
珠希のそこは私を奥深くまで誘い込むように動き,私は珠希に発射した。
私の唇を強く吸う珠希の息は乱れていたが,おさまってくると規則正しいものに変化した。
珠希は上になったまま私に体を預けてしばらく動かなかった。
余韻がおさまったのを見計らって珠希は体を外した。
「ご満足?」
「ああ」
「おさまった?」
「うん」
「おまえは」
「まあまあね」
「うそつけ。あんなに締めつけてくることは最近なかったぞ」
「そう?」
珠希の体は,年を重ねるにつれて円熟味を増し,今が最も食べ頃かも知れなかった。
珠希は,横向きに寝て頭を私の腕に預けながら,
「あなたは,自分を静めるために私を抱くんでしょう」
「それは,普通の男が持つ性欲とは少し違うと思う」
と,平静に戻った声で言った。
私には仕事に集中し始めると寝つけない習性があった。
いくら遅く寝ても,必ず夜中に目覚め,明け方の陽ざしを感じるまで目がさえていた。
間断なく続く緊張感とフル回転する頭脳は私を休ませてくれなかった。
要するに緩急の切り替えスイッチが故障してしまい,常にオンのままだった。
こうなってしまうと,自分ではどうすることもできない。
誰かにオフにしてもらう必要があった。
それができるのは珠希しかいなかった。
私が今の会社に転職してきたとき,珠希はキャリア十年の先輩で,私の指導役になった。
珠希は大学を卒業して入社した生え抜きで,私のどんな質問にも的確に回答し,手に余った時には,必ずその内容を調べて私に講義した。
そのとき,こいつはかなりきれる女だ,と思ったことを覚えている。
珠希は私と同い年だったから,お互いに気兼ねなく話すことができた。
私は珠希を女だと意識せずに接し,珠希もそれを要求することはなかった。
私の経験と知識が珠希に追いつくまでは,いつも珠希が先を歩いていた。
やがて追いつくと,珠希は私の横に並び,超え始めたことが分かると,段々とうしろに下がっていった。
この女は,相手に呼吸を合わせることを知っている,と思った。
珠希とペアを組んで仕事をすることが多くなると,珠希は私の考えを読んで動いてくれる。
官庁に提出する書類が必要な時は,過去に提出した書類が私の机におかれてあった。
そこには,必要と思われる箇所に付箋が貼られ,それを走り読みするだけで概要が把握できた。
珠希は私が何をしなければならないかを事前に察知し,その準備を整えてくれていたのだ。
仕事はできるやつと組め,というが,それが珠希だった。
単独で行うスポーツ(陸上や水泳など)でもそれは同様で,早い選手に引っ張ってもらう方がタイムが縮む。
仕事でチームを組む時,自分より格下の者を指名する人間がいるが,それは単なる自分の優越性を満足させるための行為で,かえって自分が苦労するだけである。
それよりも,自分と同格かそれ以上の者と組む方が,自分も苦しまずにすむし,はるかに仕事がはかどる。
珠希は,私の無理難題にも決して根をあげず,むしろそれを楽しんでいる姿さえみせた。
何よりそんな珠希と仕事をしているのが楽しかった。
ある時から,私は仕事が忙しくなると,外出や出張のスケジュールを珠希に教えていた。
社内で仕事に入れ込んでいると,時間が経つのを忘れて熱中してしまい,会合や約束の時間に遅れてしまうことが時々あって,適当な時間になると,珠希にそれを教えて欲しいと頼んだ。
珠希はその時間がくると,私のところにやってきて,
「そろそろ時間よ」
と,囁いてくれる。
耳元で囁くその声はとてもセクシーで,思わず勘違いしそうになる。
私はそんな珠希に惹かれていった。
仕事で遅くまで残った日があって,二人きりになったとき,私は珠希を食事に誘った。
「どうしようかしら」
いたずらっぽく笑っていたが,
「ちょっとおつきあいしますか」
「ただし,そのあとはなしよ」
と,釘を刺すのを忘れなかった。
私は,住宅街の中の奥まったところにある小料理屋へ珠希を連れて行った。
そこは年配の女将が一人でやっていて,昔,お袋が作ってくれたような料理を食わせた。
小さな個室が一つだけあり,電話を入れたとき空いているとのことだったので,予約しておいた。
部屋に入って,正面に座った珠希を見ると,職場でのキャリアウーマンの姿はなく,一人の魅惑的な女がそこにいた。
こいつは自分を使い分けできるのかと感じた。
お酒が入った珠希の白い肌は桜色に染まり,その雰囲気が私の男を目覚めさせてしまいそうになった。
マンションの入り口で車を停めたとき,私は珠希を引き寄せ,女の息づかいをする口に自分のそれを重ねた。
珠希は驚くこともなく自然にそれを受け入れた。
「きょうはここまでね」
そう言って車のドアを閉めると軽く手を振った。
私は,社内のプレゼン用や官庁に提出する資料の最終確認を珠希にしてもらっていた。
そのときの珠希は容赦なく,誤りの訂正はもちろん,考え方にまで口をはさんでくる。
もとより私はそれを求めていたので,珠希と議論することはなんら苦痛ではなかった。
珠希のフィルターを通過できなければどこにも通用しないと考えていた私は,眼前の珠希をおとすことに全力を注いだ。
やはりキャリア十年はだてではない。
その歳月を自分を磨くことに費やしてきた成果が随所に現れてくる。
しかも一歩も譲ろうとなしなかった。
こんなときの珠希は女ではなく,どこか中性的な雰囲気を漂わせ,それが透明感のある感じを与えていた。
珠希は自分の気に入る答えを求めていたのではなく,誰にでも通用する,いわば普遍的なものを要求した。
「こんな場合はどうなるの」
「こんなときはどうするの」
と,さまざまなケースを挙げて私に考えさせた。
それは,二人で作り上げる想定問答集でもあった。
研ぎ澄まされていくほどに珠希のフィルターの網目は細かくなり,私は自分の緻密さの度合いを上げなければ通過できなかった。
男同士だと,どこか遠慮というか妥協があって,相手を最後まで追いつめないという不文律がある。
珠希の場合,そんなものは鼻から眼中にはなく,ただひたすら獲物を追いつめていく純粋さだけがあった。
私は,できあがったものを黙って珠希の机においておき,珠希の回答を待っているだけだった。
珠希は,みんなが帰り始める頃になると,私に自分の考えを述べ始める。
だから,社内の者は二人のやりとりを知る者はいなかった。
気がつくと,二十四時を回ろうとしているときもあった。
それで,二十二時をリミットとすることにし,決着がつかない場合は翌日に持ち越すことに決めた。
このようなことを繰り返していくと,やがてお互いの考えが透けて見えるようになる。
バレーのアタッカーがセッターの目配せ一つで反応するようなものだった。
そうなってくると,もはや多くの言葉は必要ではなく,時間を割くような議論も不要になる。
呼吸というのはそういうものだろう。
喫茶店で真向かいに彼女を座らせても呼吸は合ってこない。
呼吸を合わせることの大切さを知っている男は必ず横に座らせるものだ。
これは,二人の心拍数を計測した実験でも証明されている。
最初は個別だった心拍数が,ある一定の時間が経つとピタリと合うようになるという。
私と珠希は,知らず知らずそんな関係になっていたのだった。
ある日,二人の仕事が午後八時頃に終わったので,
「食事でもどう。後半戦ありで」
と,誘うと,
「いいわね。明日は祝日だからエンドレスになるかもよ」
珠希は不敵な笑いを浮かべて言った。
「望むところだ」
珠希を横に乗せて走りながら,
「どこがいい?」
「そうね。私が知ってるイタリアンの店に行きましょう」
珠希が案内した店は,旧い年代物の住宅が建ち並ぶ通りで,一見すると普通の民家と変わらなかった。
一番奥の席に座ると,珠希は慣れた様子でメニューを見ることもなく注文した。
「ワインを少しいただこうかしら」
「でもあなたは飲めないわね」
と,意味深な笑いをうかべて言った。
私は,市内のバイパスを抜けて郊外へ向かう方向に車を走らせた。
珠希はしなだれかかるように私にもたれていた。
私は,森の中にひっそりと建っているコテージの中の一つに車を滑らせた。
部屋に入ると,珠希は私の首に腕をまわして唇を重ねてきた。
頬はワインの酔いでほんのり赤味がさしている。
私は,ソファーに座って,
「みせてくれ」
と,命令した。
珠希はゆっくり上着を脱いでブラジャーを外し,胸にそびえ立っているものを両手で被った。
「まだある」
自分を守っているものを黙って脱ぐと,床におとした。
「きれいだ」
まだ二十代といっても通用する体をしていた。
珠希は,私のワイシャツのボタンを一つ一つしなやかな手つきで外し,スラックスのベルトに手をかけた。
それが足下におちると,私の最後のものを引きずり下ろし,潤んだ瞳で私の男をみつめると,
「あなたも」
と,かすれた声で言い,口を近づけ愛おしむように吸った。
その様子を上から眺めていると,珠希の巧みな刺戟もあって,私の男が目覚めてきた。
私は珠希の頭を両手でつかみそれを押し込んだ。
その間も珠希の舌は動きを止めずに私を刺戟していた。
ソファーに座り,
「してくれ」
と,言うと,珠希は私にまたがり,怒張しているそれを自分にあてがい静かに腰を沈めてきた。
そのままの姿勢で私の頭を両手ではさむと,熱情的な激しさで唇を吸った。
珠希のそこは,まるで違う生き物が息づいているように私にからみついてくる。
私はその動きに耐えられなくなり,珠希の熟れた桃のような尻をつかむと前後にゆすった。
「ああ」
抑えていた感情を解き放つような声をあげた。
珠希は私の髪を揉みくちゃにして,
「もっと激しく」
と,濡れた声で催促した。
その声に合わせるように,珠希のそこはますます私を捕らえて離さなかった。
「いって」
珠希の命令を待っていたかのように私の男は反応した。
「いい」
珠希は自分の中に放たれるものを感じて体を震わせた。
ベッドで天井を見上げながら,珠希は,
「これから私はあなたの全身の面倒を見ることになるのかしら」
と,ぽつんと言った。
「そうかもしれないな」
私は珠希の予言的な一言がなんとなくわかるような気がしていた。
それは,珠希に対して本能的に望んでいたことかも知れなかった。
珠希は,私が新規の仕事に取り組むたびに,私のモードが変わるスイッチの音を聞き取り,いつも待っていた。
それが佳境に入り寝つけなくなると珠希を呼び出した。
「スイッチが壊れた」
珠希は黙って頷くと,私を静めた。
珠希によってスイッチを切られた私は,珠希の胸に自分を預けて眠った。
それは珠希がもたらした架空の死だった。
珠希の傍で目覚めた時,私は自分が再生したような気がした。
こんなつき合いが十年近く続いていた。
その間,珠希は私に何も求めなかった。
いつもの小料理屋で食事をした後,車に乗り込んだ珠希は,前を見つめて,
「好きな男(ひと)がいるの」
と,言って,さりげなく私の手を握りしめ,
「もうそろそろ頃合いじゃない」
と,つぶやいた。
「そうだな。俺もそう考えていた」
私は珠希にやさしく口づけをした。
(あとがき)
ある公的機関からの融資を受けるための手続きを進めていた時,担当者の方は,私よりも年下だったが,物事のとらえ方が的確で,問題点とその解決方法を次々へと私に提示してきて驚かされた覚えがある。
その方には手慣れた作業だったかもしれないが,私にはとても新鮮で,「優秀」というのはこういうことなのかと思ったことを覚えている。
それ以来,私は自分より格上の人たちに挑戦することを畏れなくなった。
もちろん,自分もその人に伍していくために,かなりの努力を必要としたが,自分が引き上げられていく実感があり,とても楽しいものだった。
そのような人たちと組む方がはるかに自分を楽にしてくれるということを実感した。
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