かれこれ約30年前の話になるでしょうか。
今思い出しても胸が痛みます。
当時の看護学校は,まだ昼間定時制というのがありました。
現在の全日制とは異なり,働きながら看護学校に通学していました。
病院は,新卒者を看護学生として採用し,奨学金を出しながら養成していた時代のことです。
大体週3日が通学日で,その他の日は看護助手として勤務していました。
学校と仕事の二足のわらじですから,幾ら若いとはいえ疲れが出てきます。
そんな時事件は起こりました。
夜勤明けのU君が事務所に顔を出し,「お疲れ様」と言って事務所を後にしてから約2時間後のことです。
近隣の公立病院から電話が入り,交通事故を起こし救急車で運ばれたので直ぐに来て欲しいということでした。
私と事務所の同僚が駆けつけると,彼は案内されたオペ室(だったと思う)の台(正式名称は分からない)の上で横たわっていました。
全身にキズもなく,ただ口から流れた一筋の血が固まっているだけでした。
私達は,処置が終わって眠っているだけだろうと思っていたのですが,救急を受け入れて下さった医師が入ってこられて,
「病院に運ばれてきた時には,既にお亡くなりになっていました。恐らく即死だったと思います」
と言われました。
約2時間前までは,事務所で元気な姿を見せていた20歳の青年の死がそこにありました。
遅れてご家族の方がお越しになり,医師の説明を受けるやいなや,しがみついて彼の名を呼び続けておられました。
死後の処置がすむまで外来の待合室で待っていましたが,誰も一言も発しません。
当たり前です。誰もこんなことが起こるとは予期していませんから,一種のショック状態に陥っていたのでしょう。
ご遺体をご自宅まで運びましたが,ご両親の悲しみは深く,慰めの言葉さえかけることを憚られました。
葬儀のお手伝いに来させて頂きたい旨を伝えるのが精一杯で,一旦帰院することにしました。
途中に警察署があるので,御礼かたがた事故の状況を教えて頂きました。
現場検証によると,現場は緩い左カーブで,バスが乗客を降ろすために停止していたので,追い越そうと右側にでた時,反対車線から走ってきたコンクリートミキサー車と正面衝突したとのことでした。
一旦スピードを緩めて出たのだったら,ここまでの重大事故にはならなかったのではないかというのが警察の見解でした。
恐らくU君は,遠くからそれを見て,減速することなく右側へ出たのではないか。
そこに運悪く,バスの影になって見えなかったコンクリートミキサー車が目の前に現れた。そしてブレーキをかける間もなく衝突した。
翌日の昼からお手伝いに行かせて頂き,お通夜の受付にもたたせて頂きました。
弔問に訪れる近隣の方々とご挨拶をかわしながらも,ご両親涙は止まることはありませんでした。
告別式では,看護部門の代表者が弔辞を述べ,いざ出棺の時,ご両親が私と一緒に駆けつけた同僚に対して,是非火葬場に一緒に行って骨を拾ってやって欲しいと言われました。
ご両親のたっての頼みでしたので,お断りするのも失礼かと思い,一緒に遺骨を拾わせて頂きました。
私も,たった一度ですが病棟で夜勤をした経験があります。
自動車で帰宅する際,疲れからか何回か睡魔が襲ってきたのを覚えています。
彼が居眠り運転をしていたと言いたいのではなく,長時間勤務の疲れが,一瞬の判断を狂わせてしまうこともあるのではないかと思うのです。
特に,重篤な患者さんがいて,容体が急変するなどの緊張を強いられる勤務をした場合,帰宅時にその緊張感がとれた時,どっと疲れが出てくる。
そして,一瞬判断力が鈍る。
それが彼にとって魔の瞬間になったのではないか。
以来病院では,仮眠室を設け,眠い時はそこで充分体を休めてから帰宅するように促しています。
彼が存命していたならば,50歳になって,法人の幹部としてばりばりやってくれていたに違いありません。
病院は,職員が彼のことを忘れないために,又,自身が同じ目に会わないために,彼の大破した車を名刺サイズの写真にしたものを全職員に配りました。
私の免許証入れにはまだその写真が入っています。
若い時には体力もありますから,一晩くらい,という思いがあるのは理解できますが,U君のように魔の瞬間にであわないとは限りません。
夜勤をなさる方は,まだ若いからとか慣れているからとかいって慢心するのではなく,帰宅の際充分気をつけて頂きたいと思います。
何せ命は一つしかないのですから。