近年の診療報酬の改定は,ますますその根拠を文書に求める傾向が強くなっています。
所謂,報酬を請求するためには,その根拠を看護記録やリハビリ処方箋などに求めるため,官庁の調査でも,専らその確認が主になっています。
このことがあるために,病院側は看護師さんやリハ部に詳細な記録を書くことを求めざるを得なくなり,そのため看護師さんは,当の患者さんの話をろくに聞く時間もなくなってきつつあるのが現状ではないでしょうか。
今までは病室を訪問して,患者さんの病状をゆっくり観察したり,病状をご本人からきくことが出来たのにその時間をどんどん奪われてしまっているのが実情でしょう。
しかし,看護記録などは医療技術者しか書くことは出来ませんので,看護師さんはどんどん多忙になります。
先ず,「記録」すること。
これが日々の最大の業務になりつつあります。
新聞報道などは殆どされることはありませんが,医療訴訟が増えている昨今では,自分の身を守るためにも記録を残しておくことが必要になってきています。
それはそれであながち間違っているとは思いませんが,本来あるべき姿を失っていくのではないかと危惧します。
患者さんを最もよく知っているはずの看護師さんが,記録に時間を奪われることによって,その小さな変化を見落としてしまうことはないのでしょうか。
そして,それこそが医療事故と呼ばれるものの一因ではないかと思えてきます。
患者さんを間違えて手術してしまったという報道がありましたが,そのようなことはかつてはなかったように思います。
勿論,医療従事者の変化にも原因があるのでしょうが,本来すべきこと以外のことが増加してしまっているからではないか。
学校の教員も書くことがどんどん増えてきたために,子供達と触れ合う時間を奪われています。
だから,いじめが発生していても,気づかないかそのまま放置してしまう。
官僚という大きな権力を持った「事務方」が考えることは「記録」こそ全てであるということでしょう。
自らの記録はすぐに廃棄するくせに,現場に記録を残すことを過大に要求することは,本来あるべき医療従事者の姿勢を変えてしまい,歪みを生んでいるのではないかと思うのですが,いかがでしょうか。