若い時には悪いことが重なると,それがいつまで続くのかと不安になりますね。
いわゆる失敗が続くと,また次も失敗してしまうのではないかと思ってしまう。
自信を喪失し始めているものだから,成功の糸口が見えなくなってしまう。
こうなってくると,自分に対して疑心暗鬼になってしまい,何もかもやる気を失ってしまいます。
通常であれば,失敗の分析をするのですが,もうその気力すら残っていない。
気持ちは荒れていくばかりで,自己制御できなくなっていく。
こんな時がもっとも辛い時じゃないでしょうか。
ともすれば,生きていることすら虚しく思えてくる。
その渦中にあるときは,これがいつまで続くのかと不安になってきます。
周りの人は楽しそうにしているのに,どうして自分だけがこんなに苦しまなければならないのか。
そうなると,今までは横に並んで歩いていたのに,自分が下がってしまって友人の後ろ姿を見ることになります。
そして,友人は,ふり返って,「どうしたの?」,ときいてくれることもありません。
私も,大学時代,周りの同級生が楽しそうにしているのを見て,どうして自分だけがこんなに不幸なのか,と悩んだ時期がありました。
気持ちも塞ぎ込んでいき,友人の前では虚勢をはるものの,一人になると,どうしようもない孤独感に襲われたものです。
その時期に,私は,大学を退学しようとさえ思いました。
そのことを誰にも打ち明けられず,悶々とした日々を過ごしました。
その姿見ていた友人がアルバイトを紹介してくれ,私は,気分転換になると思いそれを始めました。
そこには,社会人となって,何年も働いている人が沢山います。
そういう人たちに取り囲まれていると,話す内容も異なりますから,自然と耳を傾けるようになります。
それは,同級生と話す内容と違い,いわば大人の会話ですから,自分にも分からないことが出てきます。
それを色々質問しているうちに,ものの考え方を学ぶようになりました。
ある女性に,自分の不幸感の話をした時,誰しも楽しいから笑っているわけではない,苦しさを面(おもて)に出さないだけかもしれない,と言われました。
また,その人はそれを抱えてじっと耐えているかもしれない,だから,表面だけに惑わされてはいけない,ということを教わりました。
そして,それはいつまでも続くわけではないから,今は苦しいけれど,耐えることがあなたを強くするから頑張れ,と励ましてもらいました。
その言葉によって,私の脱線しそうな心は何とか軌道に戻りました。
多少の時間はかかりましたが,彼女の言うとおり,それはいつまでも続きませんでした。
それは,自分が精神的に成長していったこともあるでしょう。
或いは,その成長を必要としていたのかもしれません。
私は,自分が苦しい時は,同世代に頼るのではなく年長者にそれを聞いてもらうことをお勧めしたい。
言っておきますが,それは父母などの家族ではありません。
全く中立的な人がいい。
その方が,相手も利害関係ありませんから,はっきりしたことを言ってくれます。
それは,あなたにとって耳の痛い話になるかもしれませんが,それが自分のためになると思って,虚心坦懐にきくことです。
もし,あなたがそんなことは恥ずかしくて出来ないと思うようでは,厳しいようですが,あなたは本当に追い込まれていません。
だから,そんな言い訳が出てくるのです。
真に追い込まれていれば,通りですれ違う人にすらたずねたくなる筈です。
今一度,自分が何処まで追い込まれているのかを自己点検し,もう駄目だ,と思うのであれば,この人であれば思う人がいればたずねてみましょう。
もし,いないとすれば,それを探し求める行動をしましょう。
あなたの真摯な態度に応えくれる人は必ずいます。
あなたは,まだその人に出会えていないだけです。
その人を捜し続けているうちに,だんだんそういう人は必要がないという結論が出るかもしれません。
そうなればしめたものです。
あなたは,既に悪い状況を脱しようとしているところまで来ています。
繰り返しますが,耐えることは辛いことです。
しかし,それはあなたを強靱にしてくれます。
その経験が,少々のことでもへこたれないあなたを作り上げていきます。
今が苦しくても,それはいつまでも続かない,と自己暗示をかけて頑張ることが必要な時期が人生にはあるのです。
そして,それは早く経験しておいた方がいいのかも知れません。
何故ならば,若ければ引き返すことは可能ですが,人生の階段をある程度まで上がった時にそれが訪れるとどうしようもない可能性もあるのです。
決して自分を諦めず,踏ん張って欲しいものです。