若い頃からスーツには余り馴染みのない生活を送ってきた。
大学時代に流行っていたのは,アイビーだった。
ボタンダウンシャツとチェックのズボンさえあれば,何処でも通用した。
ブランドで言えば,VAN だった。しかし,嫌いだったのは,裾を絞ったズボンの形だった。
それが嫌で,その後流行ったニュートラッド(ニュートラと呼んでいた)のスタイルを好んだ。
コンバース,プロケッズのスニーカーを知ったのもこの頃だった。
ジッポーのオイルライターなんて,誰も持っていなかった。
これ以上書くと,素性と年齢がばれそうで嫌なんだが,神戸出身の同級生がいて,そいつが,三宮の高架下(そいつはそう云っていた)に連れて行ってくれた。
戦後の闇市の名残である(と思う)。
当時は,屋台のような店ばかりで,輸入ものが沢山置いてあった。
ジッポーのオイルライターを見つけたのはその時である。
最初の店で買おうとすると,「全部見てからにせよ」と云われた。
理由を聞くと,同じものでも値段が安いところを探して,其処で買えと云う。
田舎者の私には,置いてあるもの全てが新鮮で,衝撃的だった。
バイトで金が入ったら,そいつと高架下通いをした。Lee のジーンズと革のベルトも其処で買った。
ベルトは,いまだに現役である。
ジーンズも当時のものを履いている。
先日,NHK で,履き古したジーンズのサンプルどおりに加工する番組をやっていた。
世界的なブランドの依頼もあるという。これが,店頭に並ぶと,何万円かのものに化ける。
本当に?年経過している自分のジーンズやベルトは,結構な価値があるのだと思ってしまった。
インドコットン100 %のウエスタンシャツも買った。
このシャツは,真夏でも汗の吸い取りが良くて重宝した。
アイビーの終焉と共に出てきたのが,ダーバンだった。
店頭のディスプレイを眺めて,値段の高さに驚いた。ズボン1本が9,000 円近くしたと記憶している。
家からの仕送りが月額3万円,1ヶ月死ぬほど働いても2万円になるかならない時代に,誰が買うのかとさえ思った。
体形が変わってしまって,履くこともままならないが,まだタンスの中に眠っている。
これを買った洋服屋の親父さんに教わったことは多い。
ある時,黒のブレザーがあったので,見入っていると,「君はその色に手をつけない方がいい」と云う。
それよりも,これを着た方がいいと,取り出してきたのが,紺ブレだった。
親父さんは,商いだから置いてあるけれど,本当は紺がフォーマルな色だと教えてくれた。
大学を何とか卒業して,就いた仕事は内勤が主だった。
当時は,誰もネクタイなんかしておらず,好き放題な格好をしていた。
良くいえば自由奔放,悪くいえば無秩序である。
そうこうするうちに,外出する機会が多くなってきたので,近くの洋服屋に行った。
気に入ったスーツがあったので,タグを見ると,買うのに勇気が要る金額だった。
店主に,「まけてくれ」と云うと,「それは駄目だ」と云う。
代わりに出してきたのが,紺のストライプだった。
偶然かどうかは知らないが,値段は余りかわりなかった。
何故,自分の選んだものは駄目なのかと聞くと,無地ものは生地の善し悪しが出てしまうので,誤魔化しがきかないと云う。
逆に云えば,柄ものは,その柄に目がいってしまうので,誤魔化しやすいらしい。
店主の蘊蓄に誤魔化されたのか分からないが,気に入った方を買った。
当面は,その1着で間に合う状況が続き,ジャケットを買うことの方が多かった。
そして,ここ5,6年はスーツを買ったことがなかった。専らジャケットばかりを着て,何処でも出かけていた。
自分の服装はおろか他人の服装にも全くといっていいほど無関心だった。
しかし,出張先や会議の出席等で,それなりの肩書きの方にお会いすることが多くなって,遅ればせながら,みんなスーツを着ているのに気がついた。
そのような服装が必須な年齢に達したのかと実感した。
それでは,どの様なスーツが自分に相応しいのか。
ネットを漁りまくり,片っ端からテーラーの親父(失礼)さんの解説ページを読んだ。
かの有名な落合正勝氏の本も読破した。
大体の原則を頭に入れたところで,服を買うことにして,近くの店を回ったが,気に入ったものが見つからない。
靴もシャツもネクタイもしかりである。
休みの日に,わざわざ出かけていくエネルギーは残っていないし,どうしたものかと困ってしまった。
そこで,思い切って通販で買うことを考えた。