我々はいつから「人殺し」に驚かなくなったのか

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21世紀は,2001年から始まる。
正にその年の9月11日にアメリカの「同時多発テロ」は起こった。
私は,貿易センタービルが崩壊する場面を NHK のニュースで見ていた。

ニュースというのは,その日の出来事のダイジェスト版を報道するものだが,その時は飛行機がビルに突撃する Live 映像を見た。
それは,まるで映画の1シーンを見るようだった。

そして,その夜にブッシュ大統領が行ったこの演説は,「テロとの闘い」の開始宣言であったと考えている。
同時に,これは,全世界を「テロとの闘い」に巻き込む演説でもあった。

以来約15年が過ぎ,世界はどうなっただろうか。
ブッシュ大統領の演説の通りになったか。

事態は一層悪くなり,毎日世界のどこかで「紛争」や「テロ」が起きて人が死んでいる。
「国連決議」の元での「多国籍軍」ではなく,一国の軍隊が平気で他国の領土を攻撃し,暴力に歯止めがきかなくなっている。

「テロとの闘い」と名がつけば,何をしても許される時代になってしまった。
そこには共通の正義や大義はなく,「国益」のみがあるだけだ。
我々は,メディアの報道に慣らされ,それがどうして必要であったか,大義はどこにあるのかさえ検証もしない。
遠い中東ならば,尚更かも知れないが,もう「無感覚」に近い。

しかし,北朝鮮は目の前にある。
金正恩は,サダム・フセインやカダフィ大佐の二の舞を踏もうとしないだろう。
米国と圧倒的な軍事力の差はあれど,自らだけが死ぬ道を選ぶはずがない。
在日米軍基地の存在が,かつて朝鮮を植民地化した日本を目標にする格好の理由となるかも知れない。

トランプ政権は,軍事力行使以外の道を探り始めているようだが(ロイター),事態は流動的で予断を許さない。
在日米軍基地が攻撃されれば,それは,まごう事なき日本で起こることである。そんな時,我々はどうすべきなのだろうか。

ことさらに「紛争」を煽るつもりはないが,起こりうる現実に対する検討は必要ではないか。
即ち,想定される最悪の事態は何か,その場合どう行動するか。メディアや政権は,何も教えてはくれない。
今,我々は自分自身でそれを考える時期に来ていると思う。

トランプは,北朝鮮を攻撃する時には日本に通告してくるだけだろう(韓国にも同様)。
我々には選択の余地はない。
最悪の場合,犠牲を覚悟せねばならないだろう。国家防衛もさることながら,出来るだけ最小限となるような自己防衛も必須ではないだろうか。少なくとも自分で何かを決めておく必要があるように思われる。

我々は,「人が殺される」ことを遠い国のことと思ってはならないのではないだろうか。

(参考)
(1)Business Journal:北朝鮮、日本本土へ核ミサイル攻撃の可能性…特殊部隊1万人が日本上陸で戦場化も

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