たまには音信不通にしてみましょう

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固定電話の時代から携帯電話の普及へ,そして現代はスマートフォン(以下「スマホ」)と呼ばれるネット接続も可能なプライベート・ギヤの全盛時代になりました。
そして,我々は,常時誰かと(何かと)繋がっている状態に置かれています。

その常時何かと繋がっているという仮想ネットワークを,私はソーシャル・ネットワークと称していると思っています。
しかしながら,それは従来からあった人間関係なのでしょうか。

ツイッターやフェイスブック,はたまた LINE などのネットワークには,人の「心」の交流はどこまであるのでしょうか。
それらは,一方的に発せられたメッセージに対する反応を期待されるだけで,厳密には人間同士の相互関係は成立していません。

相手の顔や眼を見て話すことによって,その時の感情を読み取り,お互いに心を交わらせるという行為はいつの間に廃れてしまったのでしょうか。
あるには違いないが,最早二次的なことになってしまっていないでしょうか。

我々は,今やスマホによって確認することなしには,相手との交流が出来ていないと思っています。
それを断ち切ってしまうことは,人間関係を断ち切ることと同義にさえなっている人もいるのではないでしょうか。

故に,自分の投稿や LINE の既読反応に捕らわれるようになってしまい,それは,「自己」の輪郭が崩れ始めて,相手に操作されている自分になっていることを示しています。

絶えず相手の反応によって揺れ動いている「自己」は,いつしか自分の存在すら危うくしかねないと思います。

そんな「自己」の揺れを取り戻すには,外部との音信を不通にしてしまい,外界の情報を一切断つ時間を作ることです。
スマホの電源を切って一切の情報を断ってみると,最初は不安に陥るに違いないでしょう。
それは,常に外界の反応が気になる状態の表面化であるけれども,かといって何も起こるわけではありません。

にもかかわらず,我々はその習慣に陥っているが故に,「何かが起こる」と錯覚しています。
この錯覚が嵩じてくると,強迫的に確認せざるを得ず,スマホの電源を切ることなどは自殺行為にも等しいと感じてしまいます。
この強迫神経症的な行動が,益々「自己」を歪め,最後にはありもしない「自己批判」から自殺行為さえやってしまいかねません。

現代は,益々「便利」になっていると思いがちであるが,反面,人間が昔から行ってきた「問題解決方法」が通用しなくなってきています。
いや,本来行うべき「問題解決方法」を忘れ去ってしまったという方が的確でしょうか。

慌ただしい中にいる時こそ,積極的に「音信不通」の時間を作り出し,少しでも本来の自分に戻る試みを行うことが,精神的な健康の為には必要なことではないでしょうか。

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