あなたのまわりで,スマホやノート PC を「持っていない人」は何人いるでしょうか。
年齢によって異なると思うが,おそらくは0%に近いのではないか。
そして,会社や学校が終わると,スマホをチェックします。
LINE 等のメールのチェックであったり,YouTube の動画であったり,インスタグラムの写真であったりします。
また,何かを調べることもあるでしょう。
情報を手軽な手段で手に入れるという意味では,スマホや PC はとても便利です。
しかし,それが我々を情報の大量被ばくに陥れているとしたらどうか。
そこには,特段必要のないものまで紛れ込んできます。
確かに,欲しいと思っている情報を簡単に手に入れられるのは便利です。
試しに,「うつ」をグーグルで検索すると,3,290,000件も出てきます。
この中で,あなたが本当に必要としている情報はどれでしょうか。
これだけの件数を片っ端から読むことはできないから,上位何件かを読んで,「理解したつもり」になります。
この時点で,あなたは情報に被ばくし,その真偽に関わりなく,それを鵜呑みにしていることになります。
勿論,知らないから検索するのであって,他意はないでしょう。
問題は,上位に入ってくるのが必ずしも的を射たものでないかもしれないということです。
あなたは,その情報をインプットすることにより,自分が分かったつもりになります。
今問題になっている「フェイクニュース」も,そのような人間の行動を巧みに利用しています。
誤った情報をセンセーショナルに書きたてることによって,また,それがツイッターなどの手段であっという間に拡散します。
マスコミの Web サイトを見ても,ある情報を慎重に扱い,言葉を選んで書くことよりも,煽るような書き方が多いように思います。
それは,アクセス数が全てになっているため,いきおい情報の真偽よりも「無知」な人間をどれだけ惹きつけられるかが評価の基準になっているためです。
当然,いくら有益な情報を発信していても,読んでもらえなければ意味はありません。
しかし,その様な情報に曝され続けていると,もはや情報に対する真贋の目は失われていきます。
特に,若い人たちは,人生経験の浅さから一挙にその波に飲まれてしまう可能性は否定できません。
自分の頭で考え抜くことをせずに,検索で得た情報だけを蓄積することによって,どんどん誤った方向に行ってもそれに気づくことは少ない。
こうなってくると,知らず知らず何かのコントロール下におかれた状態になってしまいます。
私を含めて情報を発信する個々の人間はそんなことは思っていません。
できるだけためになる情報を発信しようと努力しています。
だが,それが大量に集積されてくると,様相は異なってきます。
受け手は,それが余りに多いために何が自分に必要なものかわからなくなってきます。
誤解を恐れずに言えば,一種の「洗脳状態」とも言えます。
こう書くと,大半の人は「まさかそんなことはありえない」と否定します。
しかし,宗教でもそうですが,カルトに取り込まれている人ほどその傾向が強いです。
強く信じているがために,それを否定する人の言うことは信じられません。
例えば,「うつ」に関する情報を調べていて,ある情報が自分に当てはまると思ったとします。
その内容が自分の中にすとんと落ちると,もう自分はそれに違いないという気持ちになってしまい,まわりが,それは違う,と言っても受け入れない。
その状態は,単に気分が落ち込んでいるだけで少し経てばもどる,と言っても,到底受け入れられない。
そして,同種の記事を読めば読むほど,それは確信に変わり,そこから抜け出せなくなります。
ましてや,権威のあるとされる Web サイトであればあるほどその傾向は高くなります。
「権威」などと言うものは,私に言わせれば,同じ利害を持つものが集まって作ったものにすぎません。
どこにでも「権力志向」の人間はいます。
その様な人間が作って,ある程度社会的な認知を得ると,それが一人歩きを始め,勝手に増殖していきます。
メディアが取り上げ始めたらしめたものです。
無垢な人はそれを何の疑いもなく信じ,自分の行動を左右されてしまうことに気づきません。
「情報」というのはそれほど恐ろしい力を持っています。
真面目で,素直で,疑うことを知らない人ほど被ばくした効果は大きい。
「振り込め詐欺」は,被害者の弱点と思われる情報に曝し,その真偽を考える余裕を与えず,次から次へと行動させることによって目的を達成します。
私は,ある情報に接した時,「それは本当か?」,と一瞬立ち止まることがその真贋を考えることになると思います。
それは,我々に真贋を見極める力を身につけてくれます。
若い人ほど,それをしっかり身につけていかないと,情報に踊らされていくばかりで,いつまでも「本当の自分」は獲得できないかもしれません。
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