「社会実験」という言葉をご存じでしょうか。
例えば,高速道路の最高時速を120kmとするに際し,それがどこまで安全かを確認するため,新東名高速道路のある区間を通常の100kmから120kmとするような場合を言います。
このように政府などによってオープンで行われる場合はいいのですが,それを誰にも知らせず行われるとしたらどうか。
私は,それがどんな内容なのかを具体的に説明することは出来ません。
ですから,それを論証しようとしているに過ぎませんが,現在ほどそれがいとも簡単に行いやすい状況であることは認めていただけるでしょうか。
それは,SNS によって簡単に拡散してしまうことにも要因があります,
また,何の検証もしないまま流布してしまうために,情報が一人歩きをしてしまいます。
1970年の石油ショックのときに起きたトイレットペーパー争奪騒ぎがそれにあたります。
無くなってしまうという明確な根拠もないのに,「不安」という要素を含めると,あっという間に広がってしまう。
これは社会実験ではないと思いますが,人々の行動を変えることは簡単であるとの結果を生んでしまった。
別の例を挙げれば,「流行」というものもそれに当たるかも知れません。
流行は自然発生するとは誰も考えていないと思いますが,仕掛ける側はその手法をよく知っており,人々の行動を変えてしまう。
それもある意味での社会実験とは言えないでしょうか。
私は,「社会実験」とは,人々の行動をどうやれば変えることができるのか試すものだと思っています。
それが成功すれば,いろいろなことに応用できます。
しかもそれを統計的に分析できればターゲットを絞り込んだ実験も可能になります,
我々もブログを通じて社会実験を行っているといえます。
それは,どのような記事を書けば反応がいいのかなどを考えてみても分かると思います。
それを書く人が余程発信力のある人でない限り,影響は余り大きくないので問題となっていないだけです。
このように考えると,あらゆることがその対象になると言っても過言ではないでしょう。
注意すべきは,影響力のあるところが新しい試みをやっている場合,その目的をしっかり把握できるまでは行動を起こさないことです。
また,そのセンセーショナルな表現にも煽られないことです。
それを見極めるのはなかなか難しいとは思いますが,まわりがそうしているからといって乗ってしまうのが最も危険かも知れません,
あえて乗るのであれば,どのような結果になろうと,全ての責任は自分にあると思って行動しなければ後で悔やむことになる可能性があります。
その典型的な表現が,「私は騙された」というものでしょう,
冷たいようですが,相手からすると「騙される方が悪い」のです。
究極的には,社会実験というのはどれだけの人間を騙せるかを試すことでもあると思います。
「騙す」という表現が悪ければ,「信じさせることができるか」と言い換えてもいいでしょう。
悪意を持った社会実験はいつも行われているとは思いませんが,その可能性はあると考えておく方が無用な被害を受けないですむのではないかと思います。