私達は,テレビなどで「専門家」と称する人のコメントなどを耳にする機会が増えています。
また,ネットでもそういう人たちが色々と書いています。
私は,その全てを否定するわけではないが,なかには「どう考えても違うだろう」と思う意見もあります。
「専門家」という呼称をつけることによって箔がつくのは理解できますが,その基準が明確でないまま使用することは多くの過ちを産みます。
特に,自分の価値基準が明確に定まっていない人たちにとっては,その意見が全てになってしまう可能性があります。
所詮,人間は自分の経験からでしかものを言えないのではないかと思っています。
とするならば,いくら「専門家」と称しても,そこには限界があるはずです。
私達は,そこのところを分かっていなければ,極端にいえば,その言葉に踊らされてしまいかねません。
私が,「専門家」と称する素人という言い方をするのは,本来ある自己の限界を超えたことが可能になると誤解しているからです。
上述したように,20代の若造が,いくら資格を持っているからと言って,人生を長く生きた方にものをいうには,その長さを生きなければ言えないと思います。
その限界を知って努力してこそ,本当の専門家になれるのではないかと思います。
私が最も嫌悪するのは,資格を持っているから,それを所有していない人より何もかも優れていると勘違いしている人です。
また,下手に出てくる人たちに無感覚になってしまうと,いつの間にか,自分を全能と思い込んでしまうことを否定できません。
自分の優越性にあぐらをかいてしまいます。
迷っている時に何かにすがりたくなる気持ちは理解できますが,自分に取り入れる内容を慎重に検討しないと,人生の方向を誤ってしまうこともあると思います。
また,一見,自分に親和性のある意見がいいとは限りません。
何故ならば,それは,本来いまの自分が考えなければならないことではない可能性があるからです。
弱っている時ほど,同情してくれる意見をさがしたくなります。
それが自分を理解してくれていると思ってしまいます。
だからといって,その意見が自分の背中を押してくれるとは限らないでしょう。
また,「専門家」に意見を聞いたからといって,必ずしもそれが有効とは限りません。
相手を振り回してしまっていることに気づかない「専門家」さえいます。
この人は,自分の実体験から学んだことを言っているのか否かの見極めをしないといけません。
教科書的なことをいくら言われても,自分の心に響かないのに反して,それこそが,最も強い真実だと思います。
今を生きるために,過去の人たちが何を考えてきたかを探ることも必要だと思うのだがいかがでしょうか。
時代は変わっても,人が求める本質的なものは,さほど変わってはいないのではないでしょうか。
「古い」と切り捨てずに求めていけば,そこに「新しい発見」があると私は思います。
そこに,「流行」と「不易」の違いがあるのでしょう。